歴史長き場所、恐山
恐山。
恐山は下北半島の中央に聳える霊峰である。
この地は、宇曽利湖と白砂の大地を中心に、地勢恰も蓮華八葉の形状をなし、
釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰に囲まれ、
その中に地獄の形相を現す数108。
転ずれば風光明媚浄土の相。全てが霊夢と符号すえうので、
大師自ら御丈6尺3寸の地蔵を刻し、1宇を建立後本尊として安置し、仏道教化に精進されました。
そして、この山は日本三大霊山(恐山、比叡山、日野山)、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、
日本三大霊地(恐山、立山、川原毛)の一つで、862年に天台宗の慈覚大師 が開山したと言われています。
今を遡ること1200年前、慈覚大師円仁が入唐求法中の一夜、霊夢に聖僧現れ、
「 汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵尊1体を刻し、その地に仏道をひろめよ。」
とのお告げをうける。
大師は直ちに帰国し、霊山を探して諸国を行脚。
辛苦の巡錫を重ねてこの地に至り、山川大地まさに霊山になっている所がここ恐山なのです。
今回はこの恐山を前編、後編に分けて紹介したいと思います。
時々、私の友達が時々ですが出てきますので女一人旅的な気持ちで見てやって下さい。
あなたはどちら?
恐山に入る入口の手前には赤い橋があり、その脇には「三途の川」と書かれています。
三途の川には、
中国由来の経典「十王経」には死後の世界のお話が記されており、それによりますと、人が亡くなって三途の川までやってくると
そこに「奪衣婆」が待ち構えていて、身ぐるみをはがしてしまうそうです。
その衣類を「懸衣爺」が受け取ってかたわらの柳の枝に懸け、その枝の垂れ具合で生前の悪行の軽重を推量します。
この後、閻魔さまの前に出て地獄か極楽かどこに行くのか言い渡されるということだそうです。
ようするにこの橋は今から行くところの準備段階のようなものです。
そして、ここからあの世に行くという事なのでしょうね。
ここから始まる恐山の旅
橋を渡り、駐車場につくと「六大地蔵」が存在します。
まだ門も潜っていないのにインパクト大です。
それでは入場料を払いいざ、恐山中心部へ!
そして次に見えてくるのが、今朝の祈祷の場だった、地蔵殿が正面に。
そして地蔵殿の左側には殺伐とした地獄の風景が広がっているのです。
奥の院へ
地獄の世界へ足を踏み出しすぐに「不動尊参道」とかかれてあり、
登る事に。
結構な階段が続き、周りに緑が増え木の根の階段が出てきたりと
なかなか面白い風景になってきます。
登っていると恐山奥の院にある「地蔵菩薩」と「不動明王」を発見。
山の中に堂々と存在する「地蔵菩薩」と「不動明王」はかなりの迫力です。
ここに書かれている説明を見ますと、「地蔵菩薩」の「地」は大地をあらわし、「蔵」はいのちを産み出す母胎、母の心をあらわしており、
人に踏まれてもひたすら人をささえていく大地と子の痛みを我が痛みとしてしかと受け止めてくれる
母の心こそ「地蔵菩薩」と書かれてあり、
「地蔵」という字にこんな意味が込められていたことを初めて知りました。
と前編はここまで!後編では「いざ、地獄と天国へ」です。
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