五所川原市有形文化財である楠美家住宅のほかに、五所川原市には重要文化財に指定されている旧平山家住宅があります。
代々津軽藩広田組代官所の手代を務めた平山家の住居として造られたもので、既に2百年以上を経た当地方最古の建造物です。津軽地方の上層農民が生活した当時の姿を保つ極めて貴重な資料とされ、主屋と表門は重要文化財に指定されています。この表門は、津軽藩に対する功労により許されたものです。
~中略~
当時、門は「在々銘々門の口に門立申間敷事」の法度によって、一般には許されないものであった。
この門は、「平山家文書」により天保元年(1830年)六代平山半左衛門の時、津軽十代藩主信順公からとくに許されて、建てられたものである。
~音声ガイドより~
旧平山家住宅にお越しいただき、まことにありがとうございます。これより平山家の由緒や沿革のほか、旧平山家住宅についてご説明いたします。旧平山家住宅は、母屋と表門が昭和53年1月21日に、国の重要文化財に指定されました。これを受け、五所川原市は文化庁の補助により昭和54年度から56年度にかけて復元工事を実施しました。平山家がこの地に住まいしたのは、港村が開かれた正保2年、西暦1645年の頃で、主として農業を生業とし、代々の党首は広田組代官所の手代や、五所川原席奉行、大庄屋(おおじょうや)などの地方(じかた)役人を務め、後には代々、郷士(ごうし)の身分を得るまでになりました。
母屋は平山家先祖代々の記録を整理編集した「平山日記」の中で、明和6年1769年に作り直したという記録が残っており、建築後すでに200数十年経過していることがわかります。母屋は間口17軒:約33メートル、奥行き6間:約13メートルの規模で東より7間までが「にら」や「とろち」などの作業部、
中ほどの7間が台所や寝室などの居住部、西より3間が表座敷や奥座敷などの接客部にわかれており、屋根は茅葺、寄棟作り(よせむねづくり)となっております。離れ座敷は大正4年から8年をかけて造られたものといわれており、重要文化財の指定にはなっておりませんが、欅(けやき)造りの荘厳な佇まいは、大地(おおち)の平山家の反映を凌ぐに、余りあるものがあります。一方表門は、津軽藩に対する数々の功績により、天保元年1830年6代藩在門のときに津軽藩十代藩主信順公から特に許されて建築されたもので、間口2間、奥行き1間の長屋門形式となっており、東側には番屋も設けられております。
旧平山家住宅の主な特徴をまとめてみますと、次のようになります。まず、津軽地域の上層農家の住宅の規模や形式を、ほぼ原型のまま伝えていること、次に、明和3年1766年の地震で被害を受けたことにより、盟和6年に再建した建物であるため2重張りや雲壁を使用するなど地震に配慮した構想となっていること、第3に平山家に平山日記や多数の文書など多数の文書が伝えられていることもあり、建築年代を特定できる、県内には数少ない建物であることです。
なお、住宅裏側の文庫村には、大地の平山家の調度品や文書、平山家ゆかりの方々の遺品を展示品しておりますので、併せて見学されますよう、おすすめいたします。ありがとうございました。
<旧平山家住宅>
住所 〒037-0035 青森県五所川原市大字湊字千鳥144-1
(JR五所川原駅より車で約5分。)
tel 0173-34-8870(五所川原市役所/平山家管理事務所)
開館時間 9:00~16:00
休館日 月曜日、祝日の翌日、年末年始
入館料 無料
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