「あの日」からちょうど一年が経った「平成24年3月11日」
私は蕪島にいました。
東日本大震災で犠牲になった方々の追悼行事
「はちのへ弥生灯火会(やよいとうかえ)」を撮影するためです。
昨年4月に来た時は姿を消していた「海の営み」も復活していました。
津波で陥没したトイレ棟も復活!
こちらはガレキを再利用して作られた「再生の樹」
ライトアップが楽しみですね。
この日は、あいにくの曇り空に加え、強風と寒さがハンパではありませんでした。
軒を連ねた屋台に「呑兵衛センサー」が反応します(笑)
美味しそうなおでん!…お酒、ほしいなあ(アンタ、車でしょッ!)
例によって、どんな催しがあるかアバウトにしか把握していなかった私。
屋台を横目にのんびり歩いていたら、すでに特設ステージで
「えんぶり」が始まっていました!
走ります!!
これはデジャヴ?
前にも、その前にも見たような「すでにご覧の人だかり」のシチュエーション。
おまけに、脚立も準備してません…
ここでも「学習能力の低さ」を存分に発揮!(笑)
しかし、いつもの「パパラッチ作戦」で撮ります!
相変わらず子どもたちが輝いていました。
私にとって、「えんぶり」が好きな理由のひとつが
この演目の合間にあるMC。
演目を解説する軽妙な「南部訛り」が心地よく、
ユーモアの中に子どもたちに対する厳しさ、そして愛を感じます。
「皆さん、元気ですかあーッ!!」
「…元気で~す」
(…ガックン)
追悼行事のためか、いまひとつだった会場の反応に
おもわずズッコケ(笑) しかし、自身も震災被害を目の当たりにした体験とともに
「子どもたちの未来のためにも、震災に負けず地域を元気にしていきたい」
と声を詰まらせながら話す姿を見て、胸が熱くなりました。
そして、それは
「悲しみを隠し、誰かの笑顔のために頑張っている人たちがいる」
と、あらためて実感した瞬間でもありました。
そんな決意を象徴するかのように
いっそう力強く感じられた
太夫の皆さんの
「魂の舞い」に
いっそう心が熱くなりました。
こうして、すべての演目が終了。
「あの刻(とき)」が刻一刻と近づいてきます
※
「父ちゃん!」、「母ちゃん!」
届かなかった「声」
「爺ちゃん!」、「婆ちゃん!」
つかめなかった「手」
「兄ちゃん!」、「姉ちゃん!」
放してしまった「手」
そして…
「私はいいから逃げなさい!」
「早く高台に逃げてください!」
身内や多くの命を救うため、自らを犠牲にした人たち…
※
数え切れないほどの命が、無慈悲にも飲みこまれた
「平成23年3月11日」
あれから一年経ったいま、生かされた人たちは、悲しみに暮れながらも
新たな一歩を踏み出そうとしています。
先ほど素晴らしい舞いを披露したえんぶり組の皆さんも加わり
一分間の黙祷が捧げられました。
正直なところ、黙祷を続けるべきか撮影するべきか悩みました。
被災した皆さんの本当の苦しみは、直接被災していない私にはわかりませんし
ここにいるのは単なる「自己満足」かも知れません。
しかし、いまの自分の役割は
今しかない「この場」を伝えること
と思いなおし、10秒間黙祷してから撮影させていただきました。
(不安定な足場で目をつむり、バランスを崩しかけたのはナイショです)
平成24年3月11日14時46分
この刻(とき)
復興への願いで全国の心がひとつになりました
黙祷が終わった後は「バルーンリリース」
震災復興をはじめ様々な願いが書かれたバルーンを手にした人たちで
会場が明るい雰囲気に変わっていきました。
なお、バルーンを持つ太夫さんのレアな姿は撮ることができず(笑)
一斉に放たれた無数のバルーンが一点に吸い込まれるのを見て
「願いは天に届いた」と確信しました。
この後は、司会も務めていたトリオ☆ザ☆ポンチョスさんたちの
復興ライブなどが催され、昼の部が終了。
冷えきった体を(主におでんで)温めた後、夜の部へ
会場では、子どもたちが3700個の置灯ろうひとつひとつに火を灯していました。
夜の部の最大の見所は
蕪島前に浮かび上がる「灯」の字と1000個の「流し灯ろう」
会場誘導をしている警備員さんから
「流し灯ろうは、ある程度流れて消える仕掛けになっているんですよ」
(もちろん大好きな南部のイントネーションです)
と聞き、見る前から心の琴線および涙腺がはじけそうです。
子どもたちの合唱ステージが涙腺崩壊に拍車をかけます。
夜は深まり…
蕪嶋神社の眼下に現れた「灯(ともしび)」の字
そして、灯ろう流しが始まりました。
遠くまで流れていくもの、半ばで沈んでしまうもの…
それぞれの輝きを放ちながら流れ、そして消え去ってゆく灯ろうたちに
「泡沫(うたかた)の人生」を重ね合わせます。
その一方で
「あ~!また消えちゃったよ~!」
強風で灯ろうが消えるたびに火をつけて回っていた子どもたち。
中には半べそをかきながら頑張っていた子も…
流し灯ろうを近くで撮影するため移動するつもりでしたが
その健気な姿に足が止まりました。
倒れては起こし、消えては点ける
この子たちがいなければ、この「ともしび」の字は完成しなかったでしょう。
このあきらめない気持ちこそが
復興を支え、明るい未来を照らす「ともしび」なのかもしれません。
被災状況は宮城県や岩手県、そして福島県などと比べものにならないとはいえ
青森県もれっきとした被災県です。
震災を乗り越え
息づく伝統と豊かな食文化、そして温かい心で
訪れた人々の心に火をを灯す
そんな「ハートのある場所・あおもり」であり続けてほしいと願いつつ
帰途につきました。
「ともし火を まもり続ける 子どもらの
いのち輝く 豊年まつり」
(撮影した場所)
なお、余談ですが…
前日に呑んだくれていたことはナイショです(笑)
八戸の皆さん、ありがとうございます!
コメント一覧