魅力No.612


夜の禅林街を歩いてみよう!

皆様今日和!この時間どうもお腹が減るnew_rockですm(_ _ )mペコリ

他の皆さんの食に関する記事が・・ハラヘリパワーを増幅してくれますwww

さて、今回は夕方禅林街(ぜんりんがい)を愛犬と共に散歩して来たので投下します!

日中の禅林街は、杉が道を彩りとても静かで、寺町だけにとても趣があります。

ただ、夜になると禅林街の入り口(黒門)から一番奥の『長勝寺(ちょうしょうじ)』まで、街灯が温かい光を提供してくれますよ!

写真:『黒門』から『長勝寺』までの道

この黒門の手前にあります『赤門』がこちらです(^ω^)ノ

写真:『赤門』のはず・・・orz

何故禅林街(ぜんりんがい)なの?

弘前城築城の翌年、城を建てた2代藩主信枚が津軽一円から曹洞宗の寺院を結集したそうです。

禅寺が林の様に並んでいる事から禅林街(ぜんりんがい)と呼ばれる様になったと言われています。

写真:上寺(うわでら)通り

黒門から長勝寺までの道を『上寺(うわでら)通り』と呼び、赤門から宗徳寺までを『下寺(したでら)通り』と呼びます。

上寺通りには20のお寺、下寺通りには12のお寺、他に「観音山 普門院」(通称:山観)を含め33のお寺が集結しています。

慶長年間に津軽地方の各地域に点在していた33もの寺院を、何でここに集結させたかは未だに不明です(@@)ウ~ン?

でもまぁ、当時の津軽藩にとっての、大事業(ビッグイベント)だったんじゃないでしょうかねぇ?ロマンです。

 

黒門からゆっくり散歩していたら、どんどん暗くなってしまいましたwww

ですが、上寺通り最終地点の『長勝寺』のライトアップは荘厳です(^ω^)

長勝寺に到着すると、右手に仏舎利塔があり広場があります。

仏舎利塔とは?

日本の仏舎利塔は、飛鳥時代の法興寺・法隆寺・四天王寺のように、古くは木造の五重塔や三重塔として建造される例が多かったが、近代になると戦後の平和を願うなどの目的で熊本市の花岡山、北海道釧路市の日本山妙法寺、静岡県御殿場市の平和公園、富山県高岡市の鉢伏山などに仏舎利塔が建造された。日本の仏舎利塔には殆ど仏舎利は納められておらず、代わりに経典や宝石が納められているのが普通であるが、仏舎利を納めたとされるものも決して稀ではない。

wikiより抜粋

確かここの仏舎利塔は『忠霊塔』なんですけど、え~忠霊塔は太平洋戦争で亡くなった方々を慰霊する為のものです。 戦前、全国で忠霊塔や忠魂碑が多く作られたようですが、戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部・聯合国軍最高司令官総司令部・連合国最高司令官総司令部)・・その前にGHQですが、太平洋戦争(大東亜戦争)の終結に際してポツダム宣言の執行のために日本において占領政策を実施した連合国軍の機関でした。ただ、「連合国軍」とはいっても、その多くの職員はアメリカ合衆国軍人とアメリカの民間人、少数のイギリス軍人で構成されていたそうです。

で、そのGHQに戦後・・命令で戦争を思い出すような施設はほとんど取り壊されたそうです。ですが、反骨津軽魂は言いなりにはなりませんでした(・ω・)9

仏舎利塔ということにして、GHQの命令を無視したようです。凄いぜ津軽人!!

写真:広場・奥の塔が仏舎利塔

実はここの広場から、毎年岩木川河川敷の花火大会が見えます!ですが、会場がずれると木で全然見えないマジックも・・・。

なんだかんだで、こんなに真っ暗・・・!?

さて帰りますか(^▽^)

青森県弘前市西茂森

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