奈良・平安時代~貴族たちが憧れた南部馬
大和朝廷が東国(今の東~北日本)を支配するようになると、そこに貢ぎ物を納めなければならなくなります。当時の西日本には、南方系の小さな馬しかいなかったので、立派な馬格をした東国の馬は大いに喜ばれました。
南部馬の特徴は・・・
・馬格が大きい
・姿・形が美しい
・気性が良い
といったことにあります。そのため、平城京(奈良時代)や平安京(平安時代)の貴族たちにとっては「あこがれの馬」で、その美しさや従順さが多くの和歌に詠まれました。
「綱たえてはなれ果てにしみちのくの尾駮の駒をきのう見しかな」(後選和歌集)
長年あこがれてきた「尾駮の馬」。長い旅をしてようやく陸奥までやって来て、ついに昨日、引き綱を解かれて野に放たれる光景を実際に見ることができた。その感激を詠んでいる。
「みちのくの尾駮の駒も野かうには荒れこそまされなつくものかな」(後選和歌集)
体の大きな「尾駮の駒」だから、馬小屋で人に飼われているのならまだしも、野飼いされているものはさぞかし荒々しいだろうと想像していた。だが実際にはとても人懐っこいものだった。
尾駮の駒(おぶちのこま)
まだら模様のシッポを持った名馬が都で評判を呼び、以後、南部馬を総称してこう呼ばれるようになった。
現在の青森県上北郡六ヶ所村にその地名が残っています。
ちなみに現在、南部馬は絶滅していて純血種はいませんが、尾駮の馬に似ている馬ならいます。それがこちら。
こちらの馬の名前はヤワラと言いまして、腰を痛めてからはのんびりと余生をすごしていますが、昔はかなり優秀な良い馬だったそうです。
素敵な記述有難う。
南部馬の事なら 倉石村史(上)に書かれています。倉石村は現在三戸郡五戸町です。図書館で倉石村史見ると、なるほどと感じます。
義経の乗馬 「太夫黒」は五戸産と言われています。
古谷義昭
2016.03.25
こんにちは。
南部馬の記事が殆ど無くこちらで詳しく拝見させて頂きました。
写真を拝見しますと、模様はアパルーサ?みたいな感じなのですね。
馬体が大きいと有りますが、何cm位だったのでしょうか?
歌集が一緒に紹介されているのは、歴史やその時代の馬の存在価値等が理解出来、楽しく拝読させて頂きました。有難う御座います。
marukarian
2012.08.14