魅力No.1375


南部馬の歴史6

最後の南部馬その2~盛号~

 

またまたこちらの写真。見にくくて申し訳ありません。

 

最後にして最高の名馬 盛号

この世に足跡を残す最後の南部馬が『盛号』です。盛号は明治5年に三本木(現十和田市)で生まれた青毛の牡馬で、体高5尺(151cm)という格段に大きな馬でした。

明治維新後、日本は西洋文明を積極的に取り入れます。競馬もその1つでした。わが国で初めて洋式競馬が行われたのは明治18年、場所は東京上野の不忍池でした。そのレースでは日本の馬だけではなく、外国の馬も何頭か出走しました。そのレースで盛号は、並み居る強豪馬(サラブレッドも含む)を寄せつけず、2位以下を大きく引き離して優勝。翌年の第2回開催時にも優勝して連覇を成し遂げました。

その後盛号は厨川村(現盛岡市)で貨車の入れ換え作業に従事し、明治37年、32歳という長寿の末この世を去りました。人間で言うと128歳ですね!ここまで長生きするとは・・・。ちなみにこの盛号の骨格標本は現在、盛岡農業高校に保管されているそうです。

これは私個人の考えですが、何千年もの歴史をほこっていた南部馬も今は絶滅してしまい一頭もいなくなってしまいました。それは私達『人』のせいなのです。これは南部馬にかぎった事ではありません。話はちょっとずれますが、今青森には豊かな自然が残っている場所が多々あります。水や空気、森や海。綺麗な景色がそのまま残っているのが青森です。しかし一歩間違えてしまえば、『失われる』可能性もあるという事ではないでしょうか?便利になった時代だからこそ原点に立ち返りそこから何かを学ばなければならないような気がしました。南部馬等のような『財産』をもう二度と失わないように。

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