2000年前の太古のいのち「大賀ハス」
▼経緯
大賀一郎博士は、昭和26年千葉市浪花町26東京大学検見厚生農場内の
地下4米の青泥層の中から、3粒の古蓮実の発掘に成功しました。
そして、昭和27年に開花し「 2000年前の古代蓮」として全世界に
報道されました。
▼八戸市への移植
大賀ハスの事業に八戸市と関係がある人々によって成功した、
という縁由より、昭和44年に八戸市に移植。
当初は是川清水寺へ分根されましたが、湧水が冷たく枯死した為、
翌年45年に対泉院貴福池に移植されました。
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蓮の花の命は短く、早朝より咲き始めて昼頃には閉じます。
そして3日間開閉を繰り返し、4日後には すべて散ってしまいます。
その為、開花を待つ「つぼみ」の状態や花びらが散った「果托」の状態を
一度に見ることが出来ます。
2000年前(弥生時代以前)の大賀ハスを見ていると、
とても不思議な気持ちになりました☆
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大賀ハスがある対泉院
▼対泉院の伝説
明治44年の火事で、山門と鐘楼をのぞき全て焼け落ちてしまった。
この火事の火元となった家に「中村松太郎」という男がおり、
実家が火元になったのを知った後、宮大工となり、対泉院四代の
住職に仕えて寺の建物を再興。
悲願がかなって寺の再興がなったのは、昭和25年だったそうです。
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境内はとても広々としており、8月末なのに紅葉も見ることが出来ました☆
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↑三間一戸の桜門(市指定文化財) ※文化8年(1811年)建築
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↑袴腰(はかまごし)鐘楼。
天井には見事な絵が描かれています☆
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↑「餓死萬霊等供養塔(がしばんれいとうくようとう)」と「戒壇石(かいだんせき)」
※両碑の裏面には、天明の大飢饉(江戸時代の中期)に於ける当時の八戸領内の天候や
作物の状況、食生活、餓死者や病死者の数、放火や強盗、といった治安悪化の様子、飢饉で得た教訓を後世に伝える内容が記されています。かつて人肉を食す様子を記した部分が
存在しましたが、意図的に削られたそうです。。。
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▼最後に・・・
私は生まれも育ちも八戸市民ですが、恥ずかしながら、
今回はじめて「対泉院」を知ったんです^^;
昔から「八戸は何も無いなぁ〜」と思っていたのですが、
自分が知らないだけで素敵な場所はたくさんあるんだと
思い知らされました☆
そこで、今後はもっと八戸のことを知り、たくさんの方が
「八戸に行ってみたい」と思えるレポートを載せたいですね♪
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▼八戸市
・スケートやアイスホッケー が盛んで実業団体など加盟登録数は60チーム以上
・漁業が盛んで「イカ」の水揚高は日本一
・夏はヤマセの影響で涼しく、冬は北東北ながら雪が少ない
▼対泉院
・住所:八戸市新井田字寺ノ上13-1
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