青森県が日本有数の馬の産地になった理由
今回は私が今お世話になっている乗馬クラブがある町、十和田市の馬の歴史について教えたいと思います。
まず十和田市では藩政時代の文久3年(1863年)に馬市が開催されて以来馬セリで賑わい、明治17年には軍馬育成所(後の軍馬補充部)も開設され、馬産地としてしられるようになりました。
軍馬補充部三本木支部
明治18年の陸軍軍馬局出張所開設以来(明治29年軍馬補充部三本木支部と改称)昭和20年の解体まで、約60年の長きにわたり町の発展に寄与しました。およそ1700頭強の馬を有し、軍馬の育成に意を注ぎましたが、軍馬が高値で買い上げられたことから産馬熱を高め、馬のまち三本木として活性していきました。
軍馬が戦地へと送られるまで
① 牧場や農家で生産され育成
② 2歳になると馬せりにかけられる。「三本木おせり」は毎年10月に1ヶ月間行われた
③ 馬セリで「軍馬御用!」の声がかかり補充部が購入
※馬の値段(昭和2~12年の平均)
軍馬は324円 その他は129円
※景気の良い時は、良馬は2000円以上もの値がついた。ちなみに当時は米1俵が7~8円(現在は約1万8000円ぐらい)だったので平均的な軍馬は1頭78万円になります。
ちなみに軍馬補充部では、昭和9年の三本木町の年間予算が約15万円だったときに、軍馬補充部三本木支部の年間予算は20万円でした。補充部での労働賃金は、民間より3割近く高かったそうです。
軍馬補充部の総敷地面積は13100ヘクタールです。この大きさからも戦時中は重要な施設だったことがうかがえます。
最後に各軍馬補充部の育成馬飼育頭数を比べてみます。(昭和18年)
① 釧路支部 北海道 854頭
② 三本木支部 青森県 2806頭
③ 萩野支部 山形県 453頭
④ 白河支部 福島県 635頭
⑤ 高鍋支部 宮崎県 411頭
⑥ 雄基支部 朝鮮 248頭
一番頭数がずばぬけて多いのが三本木支部です。この事から今では全く見る事のなくなった馬ですが、昔は十和田市=馬産地!!と皆が知っていて、なおかつその事を誇りに感じていただろうなと思います。
過去に何があったのかなど青森県の歴史を調べ、知っていくのも一つの楽しみではないでしょうか。
私の母方の祖父(橘清美)は三本木軍馬補充部の責任者か何かだったようです。亡き母によると「毎朝、軍馬補充部の部下の人が馬を引いて家に来て、おじいちゃん(私の祖父)を『橘●●●(軍の階級)殿、お迎えに参りました!』と呼ぶと、おじいちゃんが馬に乗って仕事に行ったんだよ」と話していました。祖父は宇都宮高等農林(現在の宇都宮大学農学部)を出ており、当時としては高学歴で、戦後は十和田市の消防署長を務めました。十和田市の周辺は馬肉も有名ですが、祖父は晩年になっても決して馬肉を食べようとしませんでした。
のぶちゃん
2020.12.18
課題に役立ちました
課題多い😭
2020.02.21
私の母の父は小笠原誠といい、獣医で馬と共に戦地へ行き戦死しました。
小笠原誠の父は三本木産馬畜産組合に携わる人でした。
私の母はよく産馬会館という言い方をします。
母は今年78歳になります。
産馬畜産組合の歴史をもっと知りたいです。
橋本明子
2017.07.31
詳しい資料をありがとうございます。私北里大学獣医畜産学部の卒業生のものです。三本木が有名な馬産地だったことは存じておりましたが、他の支部と比較してここまでダントツとは知りませんでした。
十和田時代を懐かしく思い出しながら読ませていただきました。
境
2013.03.27
亡き父が獣医として働き、終戦を迎えた三本木の軍馬補充部へ、10月に3人の妹たちと、尋ねる予定です。その頃、小学1年生だった私は、記憶がおぼろで、この記事は大変役に立ちました。当時の写真は
馬に乗っていた、父を思い出させてくれました。ありがとうございました。
伊藤 靖子
2011.09.30