魅力No.1305


軍馬補充部があった町十和田市

青森県が日本有数の馬の産地になった理由

今回は私が今お世話になっている乗馬クラブがある町、十和田市の馬の歴史について教えたいと思います。

まず十和田市では藩政時代の文久3年(1863年)に馬市が開催されて以来馬セリで賑わい、明治17年には軍馬育成所(後の軍馬補充部)も開設され、馬産地としてしられるようになりました。

軍馬補充部三本木支部

明治18年の陸軍軍馬局出張所開設以来(明治29年軍馬補充部三本木支部と改称)昭和20年の解体まで、約60年の長きにわたり町の発展に寄与しました。およそ1700頭強の馬を有し、軍馬の育成に意を注ぎましたが、軍馬が高値で買い上げられたことから産馬熱を高め、馬のまち三本木として活性していきました。

 

軍馬が戦地へと送られるまで

①    牧場や農家で生産され育成

②    2歳になると馬せりにかけられる。「三本木おせり」は毎年10月に1ヶ月間行われた

③    馬セリで「軍馬御用!」の声がかかり補充部が購入

馬の値段(昭和2~12年の平均)

軍馬は324円 その他は129円

※景気の良い時は、良馬は2000円以上もの値がついた。ちなみに当時は米1俵が7~8円(現在は約1万8000円ぐらい)だったので平均的な軍馬は1頭78万円になります。

 

ちなみに軍馬補充部では、昭和9年の三本木町の年間予算が約15万円だったときに、軍馬補充部三本木支部の年間予算は20万円でした。補充部での労働賃金は、民間より3割近く高かったそうです。

軍馬補充部の総敷地面積は13100ヘクタールです。この大きさからも戦時中は重要な施設だったことがうかがえます。

  

最後に各軍馬補充部の育成馬飼育頭数を比べてみます。(昭和18年)

①    釧路支部  北海道 854頭

②    三本木支部 青森県 2806頭

③    萩野支部  山形県 453頭

④    白河支部  福島県 635頭

⑤    高鍋支部  宮崎県 411頭

⑥    雄基支部  朝鮮  248頭

一番頭数がずばぬけて多いのが三本木支部です。この事から今では全く見る事のなくなった馬ですが、昔は十和田市=馬産地!!と皆が知っていて、なおかつその事を誇りに感じていただろうなと思います。

過去に何があったのかなど青森県の歴史を調べ、知っていくのも一つの楽しみではないでしょうか。

 

コメント一覧

  1. 私の母の父は小笠原誠といい、獣医で馬と共に戦地へ行き戦死しました。
    小笠原誠の父は三本木産馬畜産組合に携わる人でした。
    私の母はよく産馬会館という言い方をします。
    母は今年78歳になります。
    産馬畜産組合の歴史をもっと知りたいです。

    橋本明子

    2017.07.31


  2. 詳しい資料をありがとうございます。私北里大学獣医畜産学部の卒業生のものです。三本木が有名な馬産地だったことは存じておりましたが、他の支部と比較してここまでダントツとは知りませんでした。

    十和田時代を懐かしく思い出しながら読ませていただきました。

    2013.03.27


  3. 亡き父が獣医として働き、終戦を迎えた三本木の軍馬補充部へ、10月に3人の妹たちと、尋ねる予定です。その頃、小学1年生だった私は、記憶がおぼろで、この記事は大変役に立ちました。当時の写真は
    馬に乗っていた、父を思い出させてくれました。ありがとうございました。

    伊藤 靖子

    2011.09.30


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