日本史に初めて登場した南部馬
将軍。正式には征夷大将軍と言いますが、「征夷」とは東日本の夷(えびす)を征伐するという意味です。
大和朝廷が東国を征伐しようとした目的は、豊富な金と馬をわがものにすることにありました。この征夷事業は、約100年間にわたって断続的に実施されました。
坂上田村麻呂
「土地肥沃にして馬多し。伐ってこれを取るべし」
東夷(北日本)の視察を終えた武内宿禰(たけのうちのすくね)が朝廷に報告した下り
『日本書記』大和時代;景行天皇の25年(西暦96年)
「出羽の蝦夷87人が入朝し蝦夷馬千疋を献納す」
征夷事業が進み、朝廷となった領地からの貢物を受けた下り
『扶桑略記』大和時代;養老2年(718)
卑弥呼の時代からの特産物
日本の国民にとって、青森と言えばまず「リンゴ」が最も頭に浮かぶイメージだそうです。しかし、青森リンゴの歴史はせいぜい百余年にすぎません。
南部馬は、千年以上むかしから当地の重要な産物でした。そう考えるとこれからもそういった青森県の馬や文化、観光資源を未来につなげていかなければならないという責任が私たち一人一人にあるのかもしれないなと思いました。