今日和!new_rockです(。→∀←。)
今回は六番札所をご紹介いたします♪
歴史探訪『津軽三十三観音巡礼』の旅!
第六番札所:湯舟観音(高倉神社)
ここ『湯舟観音(高倉神社)』ですが、駐車場は神社の裏手、正面の入り口を経て湯舟観音参道(結構傾斜のある階段)を通り御堂(社殿)に到着します。
ご朱印を押す納経所は、この正面側にあり無人です。正面から駐車場まで、約1㎞・・・近道は軽自動車のみ通行可能でした。通常順路的には、お参りしてから朱印を押す形になるんですけど・・・。
私の場合は連れがいたので、先に朱印押しちゃって(笑)正面から、きっつい階段登ってお参りしました。
で、連れは上の駐車場で岩木山を見ながら犬と戯れていました・・・くそっ!
第五番札所『十腰内観音堂(巌鬼山神社)』から、ここ六番札所まで約11.7㎞です。ここも比較的分かり易く、私の様に方向音痴でも安心かと思いますよ♪
さて、地元の皆さんは身に染みるほどわかっていると思いますが、津軽の冬は厳しいですよね。札所の場所ですが街中にもありますが、大体は山の中や麓が多いです。後、雪深い土地にも点在しています。そうなると、巡礼の方々もシーズンが短いので結構集中して訪れなければいけない感じですね。11月から梅の開花まではほぼ途絶えます。
札所の中に、「雪降ったら絶対行けない!」って思える場所が幾つもありました。・・・山登り状態の札所とか(´Д`;)ゲホァ
でも、時期を狙えば桜だったり、紅葉だったりを見ながら巡礼出来るし、そんなに悪くはないかな?とも思うわけです。
要は、「行くタイミングは大事!絶対!」って事ですな(^^;)私は・・・微妙に紅葉ジャストシーズンを逃しました ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!
さて、この湯舟観音堂(高倉神社)は、正面に『御堂(社殿)』・その奥に『4つの小堂』が並んでいます。奉安されているのは、「観世音菩薩」「高皇産霊命」「阿弥陀如来」です。
湯舟観音堂の起源と伝説
「津軽三十三所順礼」によれば「堂三尺四面、南むきなり。石仏なり。昔、この所に鬼神太夫と申す鍛冶、刀を打ち、悪魔を退治つかまつる。石とならせたまい、観音を祝い奉る。地より生い出たまいしゆえ、堂は鞘堂なり、それより奥に刀を打ちたまいし湯舟あとあり。」とありました。
寛延4年(1751)※今から260年前※弘前本町の甚五郎の記述より。
簡単に言うと、昔この地に「鬼神太夫」という刀匠がいました。その刀の威力で村人を悩ましていた悪魔(鬼)を退治して救ったそうです。そして、その技術で村人の生活は大きく向上したそうです。この報恩感謝の為に、村人達は刀匠を『観世音菩薩』とあがめたそうです。これが湯舟観音堂の由来(はじまり)で、村人は最も刀匠と縁の深い鉱滓(こうさい)を固めて石仏とし、観世音菩薩のご尊像としたそうです。
■おまけ■
当時、この刀匠「鬼神太夫」の名声は、附近一帯にしられており、「鬼神太夫」の作った刀剣を祀る祠もあったと伝えられているみたいです。刀鍛冶の腕も良く、人柄も良かったのでしょうね。そうじゃないと、伝説になったり、後世に名を残す・崇め奉られるなんて事絶対無いですからね~。あっ、でも世に言う【悪女】【独裁者】云々は悪名で歴史に名を残していますよね。出来れば【悪名】で歴史に名を刻みたくは無いですが、それを決めるのは後の世の人なんですよね~・・・ウン(*-ω-)(-ω-*)ウン
もう1つの伝説
岩木山麓の大蛇・鬼神丸が刀匠の娘と恋情を抱きました。人間の若者に変身して、刀匠の元へ行き娘との交際を願い出た際、刀匠より10ふりの刀を鍛えるように言われたそうです。鬼神丸は見事10ふりの刀を作り終えましたが、その最中、正体を見破られて1ふり隠されてしまいました。十腰とならず、恋い焦がれた娘を妻に出来なかったそうです。
そこで、後難を恐れた村人は大蛇を観世音と血縁させ、「飛竜観音」としたそうな。
寺歴によれば、当初の湯舟観音堂は寛政の頃より「飛竜宮」とも呼ばれていたそうです。ですが、明治維新で高倉神社に改称しているようです。
最後にご詠歌
今の世に 神といわれる 鬼神石 庭のいさごも 浄土なるらん
以上、new_rockがお届け致しました!次回「第七番札所」でお会い致しましょう!
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