今日和、new_rockです(^皿^)bビシッ
さてさて、今回は鰺ヶ沢港を過ぎ、田畑の中にあるこちら・・・
日照田観音(高倉神社)
ひでりだかんのん
こちらの日照田観音ですが、歴史は古く【坂上田村麻呂】が創建に関わったとか。既に幾つか札所を巡っていますが、この蝦夷討伐で有名な【坂上田村麻呂】がちょくちょく出てきます。田畑の中にこんもりとした丘があり、この丘を『御嶽』と呼んでいるそうです。
まず見えてくるのが、白い大きい鳥居です。
車で通りぬけ出来ますので、そのまま直進しますと駐車スペースと長い階段、銀杏の巨木が見えてきます。
寛延の順拝記の記録
「本堂三尺四面、西むき御仏本体木仏にて古仏なり。棟札大同二年二月吉日、田村丸の御建立なり。赤石村より一里東のかた沢合いへ入り、宮のうち神木の銀杏の木あり」と記されている。大同2年に坂上田村麻呂によって開創されたこの霊場は万治2年(1659)に御堂が再建されて、当初は13番札所でしたが、その後8番に変更されたそうです。
明治維新
明治維新では、ご本尊を神殿に奉安し、お前立の千手観音が上納されましたが、この尊像は後に旧納経所の『松源寺』に奉安されたそうです。
記述に銀杏の巨木(神木)と書かれていました。
樹木に覆われた138の階段入り口左にあります。
右手には観音様がお出迎え。説明板がありましたので書き出してみますね(^▽^)
鰺ヶ沢町指定文化財
記念物 いちょう (1本)
昭和62年8月20日指定
いちょうは、中国原産で、老木になると「ちち」という気根が下がる。母乳の出が思わしくない女性がこの気根に触れて、お乳がいっぱう出るように祈る風習がある。種子は銀杏といって食用になるが、雄花が咲く木には実がならない。樹齢約800年 幹回り8m
日照田高倉神社は、明治以前は飛龍宮と称され、大同2年(807)坂上田村麻呂創建伝承のある古い歴史を持つ。津軽三十三観音第八番札所である。秘仏本尊は十一面観音で、その昔若者の姿に身を変えて、この村の田畑の仕事を手伝ったという伝説が残っている。
※鰺ヶ沢町教育委員会
いちょうに関しての風習が書かれていましたね!以前深浦町に行った際に撮影した『垂乳根のイチョウ』と同じですね~!
話は変わりますが、前の札所でお会いした参拝者の方が先に到着されていまして、装束も巡礼専用のベテランさん。「十腰内観音堂」の写真で、後ろ姿だけ映っていた方です。この方が御堂に先に入っていらっしゃって、太鼓を鳴らしてお祈りされていました。その太鼓の音を聞きながら、138段の階段を登ってみた(途中からwww)動画も撮影してみました。
かなり画面揺れるのは仕様です(@ω@;)オォウ
お邪魔するのも悪いので、静かにお参りして退散いたしました。
138の階段・・・久渡寺よりは楽ですが、なかなかに大変でございます(笑)
ですが、覆いかぶさるように茂る木々で、だいぶ涼しいので体力の消耗は酷くなかったのが救いです(><;)
最後にご詠歌・・
澤山や 朝日かがやく 日照田を 照らさせ給う 観世音かな
では、次回「第九番札所」でお会い致しましょう♪
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