今日和、new_rockです!!日々お疲れ様です(`Д´)ゞビシッ
今回は深浦地区にあります・・・
第10番札所
円覚寺
をご紹介いたします!
釣りが好きな人は、深浦や龍飛方面に行かれると思うのでご存知の方も多いでしょう!
円覚寺さんの前に広場がありまして、そこで小さなお店がありますよ!丁度現地のおばあさんと、可愛いお孫さんとで小さな椅子に腰かけて団欒しとりました!何か良いね!
さて、第10番札所です!
実は深浦地区の友人と共に、一度中に入った事があります。ちょんまげとかをですね・・・っと、これは後ほどご紹介しましょう!今回は時間の関係上、中に入って見学まではしなかったです、はい。この日も深浦は良い青空でした(←えっwww)
■起源■
本寺は大同2年(807)に坂上田村麻呂が聖徳太子作「十一面観音像」を安置し、創建したと伝えられるとの事。貞観10年(868)に円覚法印により最高され、その後、豪族や弘前歴代藩主の厚い庇護を受けていたことが文献等に記されているそうです。海上交易が盛んになると会場の安全を祈願する船乗りが数多く参詣し、船絵馬や髷額を奉納して澗口観音として信仰を集めたそうです。これらは室町時代初期の作と言われる薬師堂内厨子とともに国の文化財に指定されています。
※深浦町教育委員会※
さて、境内に入りましょう!
菅江真澄の道っていう標柱がありました。・・・菅江真澄って誰??調べてみました!!
菅江真澄の道
宝歴4年(1754年)~文政12年(1829年)76歳没。愛知県三河生まれの本名白井英二。江戸時代後期の国学者紀行家で日本民俗学の先駆者とも呼ばれています。信濃、越後、出羽、津軽、仙台を経て松前にわたる「諸国巡遊菅江真澄遊覧記」80巻余の記録を残しました。その内容は秋田を中心に、東北の民衆の生活ぶり、歴史、風俗、名所、旧跡、景勝地まで調査され記録されています。
※参照サイト 菅江真澄の道
成程成程・・・、秋田を中心にか!秋田から深浦まで足を運んで、記録を残してくれたんですね~!昔の人は歩いて旅をしたりしたんですよね。今なら・・・リアルタイム新幹線開通で賑わっているのに・・・何か凄いね人間って。
さて、菅江真澄さんについて解決しました!ではでは、どんどん先に進んでみましょう!この円覚寺、津軽の観音霊場中、排仏毀釈の影響を受けず、住古からの伽藍を維持し、寺宝などもそのまま伝承されてきた唯一の霊場なんだそうな。
※廃仏毀釈(はいぶつきしゃく、廢佛毀釋)とは※
仏教寺院・仏像・経巻を破毀し僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃するなどを指すそうです。寺社奉行による寺請制度で寺院を通じた民衆管理が法制化され汚職の温床となったことで、それに対する民衆の反発があったためです。藩政時代の特権を喪失したことによってもたらされた仏教の危機は、檀家制度に寄り掛かって腐敗の極みにあった仏教界の反省を促し、伝統仏教の近代化に結びついたそうです。
何か上の説明をみると、近代の汚職事件とか癒着問題とか天下りとか・・・どの世もあんまり変わらないんですかね(><;)さて、暗くならずに先に進みましょう!!!
境内に入ると、『微笑み観音』や『竜灯光明九字の綱』がありました。こちらですね~。
微笑み観音
竜灯光明九字の綱
この綱を額に当てて、『臨(リン)兵(ピョウ)闘(トウ)者(シャ)皆(カイ)陣(ジン)裂(レツ)在(ザイ)前(ゼン)』と言えば良いそうです。・・・・やりましたよ(゜ω゜ )勿論!
江戸時代、西周りの航路(北前船)の海の男たちが、この沖で暴風雨に見舞われ、髷(ちょんまげ)を切って一心に祈ると、この杉の梢から一条の光が放たれたそうです。九死に一生を得て辿り着いた船乗り達は、常日頃篤く信じていた澗口観音円覚寺にその髷を納めました。(重要有形民俗文化財 髷額)このような伝説が、いつごろからか、北前船の船乗り達に「竜灯杉(りゅうとうすぎ)」(竜神が宿って船乗りに助けを与える神木)と言われるようになりました。
竜灯杉の見事な幹!
毎回ここに遊びに(参拝に)来ると、すぐ目にとまるのがこの『竜灯杉』!
皆さんも円覚寺に来た際には、是非『竜灯杉』を見上げて下さいね♪
他には弘法大師とかも・・・、それとこちらですね!
普通にシャッター切っていたのですが、ここだけ画像がぼやけたり、歪んだり、撮れてもこの様に赤くなるんですよね・・・あら不思議!
江戸時代末まで、こちらの円覚寺さんは当山派修験(真言系山伏)の寺院だったそうですし、現在も道場で「柴燈護摩」「火渡行法」を行っているみたいですよ!
檀家の無いお寺
そうそう、この円覚寺さんですが『檀家』さんが、いらっしゃらないそうです。円覚寺さんのHPに記載されていましたが、その時々の豪族の庇護を受けていたそうな。それで、堂宇や建立・修復をしてきたそうですよ。
◎古・・・平泉の鎮守府将軍・藤原基衡公
◎室町・・葛西木庭伊予守頼清(カサイキバクライヨノカミヨリキヨ)
◎江戸・・津軽藩祖為信公から5代藩主信寿まで。
上記の様に、随分位の高い方々からの庇護を受けていたようです。なので、一般の信者の宿泊は一切禁じられていたそうですよ。格式高いんですね・・・。
現在は深浦の船大工の方々によって再建されているそうです。材料の一部・柱などが、寛永2年と元禄13年に建てられたお堂のものを再利用しています。まさに歴史を大事にしたエコですね!世の中エコです!
深浦の海を眺めながら、円覚寺にも足を運んでみては如何かな?
◆最後にご詠歌◆
ただ頼め ゆくすえ祈る 深浦の 明日の命の ほどは白浪
では、次回『第11番札所』でお会い致しましょう!
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