12世紀後半から15世紀までの長い年月、環日本海世界の中心都市として栄えてきた国際貿易港、十三湊(とさみなと)の繁栄を支えた、謎の北の覇者、「安東水軍」を冠したお酒を造っている尾崎酒造を見学させていただきました。その一部始終です。1時間弱の見学でしたが、非常に中身の濃い、美味しい楽しい見学でした。
鰺ヶ沢の駅を後に海岸べりを歩いて尾崎酒造を目指します。 尾崎酒造の位置はここ、かなり海岸に近いところにあります。冬は寒そう…と思いましたが、海が近いことで内陸よりは気温が下がらないそうです。
- 尾崎酒造の位置
鰺ヶ沢駅から歩くこと十数分、お、遠くに“安東水軍”の看板が…あれかな?
社屋の正面の写真を撮ったつもりが、後でいくら探しても無い…(間違えて消しちゃった?(-_-;))ということで、青森県酒造組合さんのWebからの借り物です。 青森県の西津軽地方では唯一の造り酒屋です。
「こんにちは」と訪ねていくと、社長の尾崎行一さんご夫妻に迎えていただきました。夫婦瑞祥って感じです(^_^) まずは「安東水軍」というお酒の名前の由来から…。 実はこの名前を付けたのは昭和63年と比較的新しく、その前は「白菊」という名前だったそうで、この「安東水軍」という名前は新しく作ったお酒に郷土史を研究している人に付けてもらったそうです。
さらにあの目立つラベルの赤い色(最初の写真ある)は安東水軍の旗の色なのでは、と想像していたのですが、実は津軽の海に沈む夕日の赤の色なのだそうです。 この本は、安藤氏の歴史について書かれた本だそうで、安東氏の家紋はこの“檜扇に違い鷲の羽”(由来についてはここ→武家の家紋_秋田(安東)氏http://bit.ly/zTf25s)「安東水軍」の純米吟醸のラベル(上の方)や箱の蓋に入れられています。 これは秋田(安東)氏のもう一つの家紋、獅子に牡丹。
ところで、肝心の「安東水軍」というのがどういうものだったかを全く知らなかったので、調べてみたら、これがすごい!(ここ参考→安倍貞任 十三湖、安東水軍|景観を楽しむ・歴史民俗を学ぶ・史跡を訪ねる|見る・学ぶ|五所川原観光情報局http://bit.ly/wzw2d4) 昔、中世に、博多や堺と並ぶ全国「三津七湊(さんしんしちそう)」の一つとして津軽半島(今の十三湖あたり)に「津軽十三(とさ)の湊」というのがあって、安東氏はそこを支配し、発展させたようです(一説によると、奥州藤原氏を支援し平泉の金色堂の建設の大スポンサーでもあったもしれない、とか…)。 また鎌倉幕府の北条氏が東北以北の「日本の国境の外」を統一するものとして置いた人物で、十三の役人としての諸権利を北条家から与えられていた…なんだか日本のバイキング、って感じですね…。 下の写真は、尾崎酒造さんでいただいた「青森の地酒」のパンフレット Aomori地酒Fan倶楽部なんてのがあるんですね…(早速入会申し込みしました)
表紙の写真は蒸した米を広げてこれから麹を造るところのようです。
社長さんの説明ではこの“華想い”という青森で独自に開発された品種のお米(酒造り好適米)を使っているとのこと、“華想い”いい名前ですよね…。
もう二つ酒造りに欠かせないもの、それがこの“水”と“酵母”。尾崎酒造さんでは、後で出てくるように裏の丘から湧き出る白神山地の伏流水とこの青森県で独自に開発された酵母を使っているそうです。 説明を一通り伺い(お茶もいただいて)、いよいよ工場を見学。まず、米を洗って、水に浸し(浸せき2日くらい)、ザルに上げてこの上で1時間ほど蒸すのだそうです。(日本酒の米は、“炊く”のではなく“蒸す”ので、米と米とが粘ってくっつくことがなく、“パラパラ”です。←でないと、次の工程でうまくデンプンが糖化しない。)
昔は、下のような桶に蒸した米を入れて運んだそうですが、今は 酛(もと、発酵がスムースに進むように酵母を培養したもの)を作るのに蒸し米を少量運ぶときにしか使わないのだとか…では何で運ぶかというと…(→次の次の写真)。
これは、その蒸し米を均一に冷やす機械、ベルトコンベアの大きなものみたいで、その上に蒸し米を平らに敷いていき…冷えたパラパラの米を…
このホースで吸い込み隣の蔵にある桶に送るのだそうです。
次に見せてもらったのが裏庭。といってもそこには建物があって、工場の裏の丘から水(白神山地からの伏流水)が湧き出ているそうで、その水を使ってお酒を作っているそうです。この水には結構塩分が含まれていて、社長さんの話では“海に近いので潮が飛んで地下水に混じるのでは”…とのこと。
また、平屋の建物は昔精米所だったそうです。今は?と聞くと、吟醸酒をつくるような精米歩合50%(重量比で玄米の半分以上が糠になるほど外周部を削った白米)を作るのは大変(2日も!かかるらしい)なので、今はほとんど外の精米所に頼んでいるのだそうです。 これは麹部屋、造り酒屋さんのサンクチュアリ、コアなところです。社長さんも「お酒作りというのは、“一麹、二酛、三造り”というんです。」とおっしゃっていましたが、麹造りというのが大切な日本酒造りのノウハウのようです。
雑菌が混入するのを防ぐため酒造りしているときには担当者以外は入室禁止なのだとか(酒造りする人はその間は納豆も食べないと聞いたことがある)…雑菌が入ったりするといやなので敢えて入りませんでしたが…(^。^) 麹室の扉に設計・施工した会社名が…栃木の会社なんだ…。
次に案内されたのは「普段は“酛”を造っている部屋なんですが…」と、 「今はちょっと特別に造っているお酒を置いてあります・…。」えぇぇ、ナニナニ?特別なお酒って? いつもはこの部屋にはこの緑のホーローの容器が置いてあって、この中に酛を造るのだそうです。
そもそも日本酒というのはコウジカビ(真菌類、このカビがもっている酵素が米のデンプンを糖化する)と酵母(バクテリア、糖をアルコールにする)の二段発酵するという世界でもあまり例のない酒です。この酛というのがひとつの酒造りのイグニッションキーといってもいいと思います。 で、酒蔵!w まだ仕込み中の新酒が入っていました…。このタンクに蒸し米、麹、水、酛を入れて、寝かせるわけです。
熱心に説明して下さる尾崎社長。昔は鰺ヶ沢にも3軒造り酒屋があったそうですが、昭和の初期には尾崎酒造だけになってしまったそうです。
で、この蔵はもともと造り酒屋の蔵として建てられたわけではなく、他から(海産物を運んだ北前船で)来たの人が、鰺ヶ沢に移ってきて、酒造りを初め1860年桜田門外の変くらいの年にこの蔵に引き取った、とおっしゃっていました。
この蔵に移った理由は、酒造りの蔵は天井が高くなくてはならない、というのが条件とか。何故かというと… タンクの中に仕込んでいる酒を混ぜるためのこの神棚の後ろにかけている櫂を上に上げたときにぶつからないほどの高さが要る、ということだからだそうです。
櫂を掛けてある柱の一方には、神棚が…で、その後ろには太く青いホースが…
この青いホースから先程の機械で冷やされた蒸し米が各タンクに供給されるのです。昔は人が蒸し米を桶に入れ担いでタンク(昔は木桶)に運んで入れていたということで、結構な重労働だったらしいです。 だいたい、保温材を巻いてあるところくらいまで材料を入れるのだそうで、発酵してくるとその上にあるタンクの番号のところくらいまで膨れるそうです。
ところで、杜氏さんは居ないのですか?と訪ねたところ、数年前までは南部杜氏の人がいたのだとか、今は自分たちで造っているそうです。ただ、“杜氏の人達”って何が違うのでしょう?と聞いてみるとやはり“杜氏の人は米作りから、麹作り、発酵、搾り等”全てを知ってますから…というご返事でした。 で、足場に上りタンクの中を見せてもらいました…ワクワク。だいたい、お酒の種類にもよるのだそうですが、20数日~40日くらいでお酒になるそうです(どういう訳か精米歩合の高い吟醸酒のの方が仕込みの日数が長いらしい。使っている酵母にもよるとのことです。)
上にかかったビニールシートをめくると、おぉぉぉぉぉ!酒だ酒、酒の匂い…w表面にはまだふつふつと泡が出てきています。 こちらは別のタンク、社長さん「あまり首を突っ込むと、炭酸ガスで意識を失うので気をつけて下さい…」確かに、発酵の過程で酵母菌が出す炭酸ガスは空気より重いので、こういう状況ではタンクの中に溜まっていて、やたらと首を突っ込むと酸欠で失神したりする恐れが…でも、酒の中なら溺れてもいいかw
だいたいこの1つのタンクで2600リットル、絞ったお酒を一升瓶(1.8リットル/本)にすると数百~千本くらいができるそうです。しかし、イイ匂いだ~たまらんw
酒造りは温度管理が肝心。やはり、寒い冬の方が温度管理しやすいので、それで日本酒は冬に仕込まれることになるのだそうです。ただ、温度が低すぎでもだめなのだそうで、このように保温材を巻くか…
電球やヒーター等をタンクの下(タンクはブロックの上に置かれて下に隙間がある)に入れて暖めるそうです…。
そしてこれが出来たお酒(はっきり言って“どぶろく”状態)を搾り、漉す機械。 ちょっと“おっ”と思ったのは結構作業している人達が結構若い…。
この機械は白い袋の中にドブロク状のお酒をいれその袋(このようにいくつもがぶら下がっている)が空気の圧力で動くプレス機械で押され搾られます。お酒は袋で漉されて下に落ち回収されます。で、袋に残った糟が“酒粕(青森ではスーパーによく売っている板糟)”となるそうです(なるほど、だから板状なのか…と納得)。
社長の話では昔は油圧のプレス機械のようなもので搾っていたと…その指差す先には…。
確かに古いプレス機のようなものが…。
これでちょうど搾りきった状態だそうです。
で、搾られたお酒はどこに行くかというと…。
この搾ったばかりのお酒(まさに一番搾り?)を溜めておくタンクへポンプで移送されます。
いや、ほんとにいい色、いい香り! その時の社長さんが「飲んでみますか?」と…えぇ~いいんですかぁ? 嬉しくて手が震え写真ブレましたw …新酒…それに搾り立て…「舌にピリピリきますね…」と社長に感想を言ったら、「どうぞもっと飲んでください」えぇ、喜んで(でもここで酔っ払うとこの後のプランが…)結局2杯くらいにw(´▽`) あ~でも美味しかったわぁ~。 しぼり立てのお酒というのはまだ酵母が生きていて(普通瓶詰めにするお酒はこの後に“火入れ(温度を上げて酵母を死滅させる)”というプロセスを経ます)、炭酸ガスが発生しているので、ちょっと発泡酒的な舌触りがします。さらに、(自分はそうだと思っているのですが)生きている酵母の出す香り、というものがあり、それがアルコールの匂いと混じって(自分にはか?)ある種の香水のような感じです。
社長さん「じゃ、今度は特別なお酒造っているところに行きましょう。」ってもしかして…と付いて行ってみるとそこにはこのタンクが…これはひょっとして…!
袋釣りのタンク!“袋釣り”は。酒袋を吊るして、無圧で自然に滴るように搾る方法で収率が少なく(これで約160リットル、一升瓶で数十本分しかできない、とのこと)鑑評会出品酒などを造るときに使われる方法で、お酒が空気に触れて酸化しやすく、リスクの高い方法ですが、きめの細かい、きれいな酒質になるということです。青森に住み始めた年に秋田に行って、“袋釣り”のお酒をゲットしたのですが、その旨さには…声も無かったですw
ビニールカバーを取ると原酒が入った袋がいっぱい…確かにこうやってたくさん袋をぶら下げれば、炭酸ガスも発生するので酸化をある程度防ぐことができる…。 あ、でも確か“安東水軍”には“袋釣り”の酒種は無かったのでは?と社長さんに聞いてみたら、残念ながらこの“袋釣り”のお酒は他の造り酒屋さんの依頼で造っているとのこと…えー残念だなぁ。 尾崎酒造は、表から見ると結構社屋が新しく見えますが、その中はレトロな建物!これは昔ろうそくを持ち運ぶのに使った道具とか…。
ここはどちらかというと居住スペースですが、天井がやたら高い…。
最後に社長さんと記念撮影。どうもありがとうございました!
実は、この後“一本買ってきたいのですが”と言ったところ、社長、奥さんに「今、瓶詰めしているのがあるだろ、あれ持ってこ」と一言…で、瓶に詰めたて(ラベルなし!w)のお酒をお土産にいただいてしまいました!ナップサックは重くなったけど鯵ヶ沢駅までの歩が軽かったこと!w 友人の送別会で大事に飲ませていただきました、美味しかったです。 大変充実した尾崎酒造の見学でした。 こういう酒屋さんに末永く良いお酒を造っていってもらいたいものです!
コメント一覧