青森県内最古といわれている千曳神社
この鳥居をぬけ杉林を通って行きます。
案内板によれば:
『大同2年(807年)坂上田村麻呂の創始と伝えられる。山伏修験道本山派五戸多門院の配下、上北郡横浜八幡別当大光院の霞に属したが一時花巻の神官稲田遠江の支配に属したこともあった。江戸時代には、幕府巡見使の参拝所であり、南部領では巡路第一の地であった。それ故に巡見使通行の節、見苦しきため、取り壊し仮社としていたが明治2年(1765年)再興した。古くから「日本中央」と刻んだ「つぼの石文」を建てたという伝説があり、これを訪ねた和歌や紀行文などが多いことで知られる。』とある。
鳥居横にあった大木が気になり・・・。すごく気になり・・・。なにかあるんでしょうか?
千曳神社の伝説:
神代の時に石の札を建て、其石を限りに北方の国より渡り来る鬼をば追い返せし事になる。悪鬼の来りて其の石を土中へ深く隠せしを、神々達の集まり探し出し給ひし所こそ、石文村にて其石を建し所は坪村に有りしを、坂上田村麻呂来たり給ひ、鬼を残りなく殺し給ふ故に、此石は無用とて此所を七尺掘て埋め給ひ、其上に社を建立なされし事にて、其石を坪村より是迄引とるに人数千人にて引しを以て千引大明神と申なり
(東遊雑記 古川古松軒著 天明8年(1788年)より
明治9年、明治天皇東北巡幸の際に宮内庁が青森県に依頼して神社の下を発掘調査させた経緯があるようですが、神社の下からは何も発見されることはなかったが昭和24年、石文集落付近の赤川上流で「日本中央」と刻まれた石碑が見つかっています。
「日本中央の碑」「千曳神社」伝説はどこまで本当か?
謎多き青森。 県内各地の謎。知りたいですね。
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