魅力No.966


小川原湖伝説

~玉代・勝世姫像~

三沢市、上北町で見かけることができる玉代・勝世像には伝説があります。

今から1300年ほど昔、都には橘中納言道忠公という貴人がいた。道忠公には、玉代姫、勝世姫という二人の美しい姫がおり、日々幸福に暮らしていた。

ある日、屋敷を賊に襲われ重臣を失った道忠公は、世の無情であると感じ遁世されたのである。道忠公の妻は嘆き悲しみのあまり病の床につき、それを按じた二人は父のゆくえを探す旅に出ました。新堂織部・駒沢左京之進を供に従え、諸国を巡り探し歩いたがゆくえは知れず、尾張の国、熱田大社に37日間籠り願をかけた。
満願の日、白髪の翁が夢まくらに立たれ、お告げをした。

「汝らの父は、はるか北の国の清地の流れに住む。姉妹別れて探すがよい。」

そのお告げを聞き、玉代姫は新堂織部と、勝世姫は駒沢左京之進を共につれ、奥羽をめざし別々に出発した。

玉代姫は武蔵から北上し古間木へたどり着いた際、旅の疲れを取ろうと休んでいるとどこからともなく父の呼ぶ声が聞こえてきた。声を追っていくと、そこは大沼という場所で、水底から聞こえてきたその声に我を忘れて飛び込んでしまった。

翌朝、玉代姫が居ないのに気づいた新堂織部は玉代姫を探して大沼に着いた際、急に嵐が巻き起こり、波の上に玉代姫の姿が現れ、こう言った。

「私は大沼の主になります。父上は小川原という所で、沼崎観世音になられている。あなたは北へ行くがよい。妹や左京之進に会えるでしょう。」と示したのである。それからこの沼を「姉戸沼」と言うようになったという。

勝代姫の妹である勝世姫は、玉代姫と別れてから心細い旅を続け、村上という地にたどり着いた時、父上が沼崎というところの沼の主となったという噂を耳にしたため、旅を急ぎ鶴ケ崎から漆玉というところまで来て、ついには疲れ動けなくなってしまった。勝代姫はこの沼の主になろうと決め、このことを玉代姫に伝えて欲しいと、左京之進を姉戸沼へ向かわせた。勝世姫が沼へ入ろうとすると、沼の主・鰐ざめが現われ、姫をめがけて飛びかかってきた。なんと姫は大蛇と化して三日三晩、闘い続けることとなったのだが、そこに道忠公が現われ、鰐ざめに縄をかけ、漆玉のうしろにあった小さな沼に投げ入れた。
その事以来、勝世姫が沼の主となり、この沼を「妹沼」というようになった。

それが今の小川原湖である。一方、姉戸の沼に着いた左京之進は、玉代姫の霊と沼を守るためこの地にとどまったとされている。 また勝世姫を探していた織部は、姫が主になった沼にたどりつくと、勝世姫の仰せを受けて、その沼の奉行となり、そこに住みついた。
その後、二人の姫は父の居る沼崎へと通われ、三尊仏となられたという。かの沼崎観音堂が霊験あらたかなことはいうまでもない。

という伝説が残っています。(一部上北町HPより抜粋)

玉代・勝世姫の像は小川原湖で見ることができます。さらに玉代・勝世姫のこけしは小川原湖、JR三沢駅、三沢空港で見ることができます。

 

青森県上北郡東北町大字上野字南谷地122

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