今日和、new_rockですm( _ _ )mペコリ
以前階段国道をご紹介した時に、龍飛崎展望台の方にも足を運んでいました。そこの「津軽要塞重砲兵聯隊竜飛砲台跡」をご紹介いたします!
展望台の丁度反対側の丘の上にあります。
津軽要塞重砲兵聯隊竜飛砲台跡
略歴
日露戦争時、ロシア艦隊が津軽海峡突破し、ウラジオストク入港を阻止する為、海峡東西出口の制圧を目的として、明治31年より建設を開始されました。これが、函館要塞の始まりですが、龍飛崎に砲台が設けられたのは、昭和15年頃の、大東亜戦争開戦間際の事だったそうです。
帝國陸軍は、15センチ加濃砲4門を龍飛崎に装備し、海峡防衛の任に当たりましたが、既に時代が変わっており、制海権より制空権の確保が必要となっていたため、対空、対潜能力に劣る要塞砲は、米軍潜水艦の津軽海峡跋扈を抑制する事ができませんでした。目前での青函連絡船の撃沈すら防ぐ事ができなくなっていたそうです。
昭和20(1945)年、太平洋戦争の敗戦と共に、龍飛崎砲台は廃止されました。
現況
龍飛崎休憩所裏には、砲台台座の跡が残されています。龍見橋の南側には「津軽要塞重砲兵聯隊竜飛砲台跡」標柱が建っています。
こちらの写真は「吉田松陰の記念ブロンズ碑」ですが、写真より下方に台座だけが残っていて
現在は「北部七一部隊第二中隊第二砲座跡」となっています。
津軽要塞重砲兵聯隊竜飛砲台跡標柱
北部七一部隊第二中隊第三砲座跡標柱
北部七一部隊第二中隊第四砲座跡標柱
他にも砲座跡がありました。
のんびりとした空間なのに、このような重々しい戦争の跡があると不思議な感じがします。こちらの標柱から望む景色は海の青と空の青が絶妙のバランスで、展望も良いし抜群ですが・・・戦争時は同じ空を見つめても「その時の思い」は全く違うんだろうなぁと思いながら散策しました。
ちょっと重苦しく感じますが、ベンチもあるし、かなりゆ~ったり出来る良い空間になっていますので、階段国道等を見に来た際に立ち寄ってみて下さいね!