「稲造の里」と題した、お菓子を発見しました。
販売先は、大竹菓子舗さん 勿論 本店は十和田市にあります。
フランス菓子コンテストで優勝をいただくほどの腕前をお持ちのオーナーパティシエのいらっしゃるお店です。昨今は「魔女のチーズサンド」で話題になっているようですが・・・
今回は、そんな大竹菓子舗で見つけた、温かい思いのするお菓子を紹介します。
十和田市の発展に多大な痕跡を残した稲造氏の祖父・父。その御子息である稲造氏の世界平和を願う思想及び行動に感銘し町起こしを兼ねて、新渡戸稲造さんの名前を起用したお菓子を作ったそうです。
5千円札にもなった新渡戸稲造さんを知りましょう!
現在の十和田市のある「三本木原台地」は、その昔は、水も無い草ぼうぼうの荒野だったそうです。ここに開拓の鍬を入れたのは、新渡戸稲造(五千円札(前)の肖像)の祖父・南部藩士、新渡戸伝(つとう)さんでした。
末巻に、新渡戸稲造氏の痕跡を記載しております。大竹菓子舗の「新渡戸稲造の里」を楽しんでから、是非お読みください。そして、同じ日本人として、東北人として そして 青森県に力を入れた 稲造氏の祖父や父の背中を見て育った 稲造氏の素晴らしき痕跡を胸に刻みましょう。
お菓子「新渡戸稲造の里」 税込 @136円
甘さ控えめの粒あんが、二枚のクッキーにサンドされいる。サクッサクのクッキーが、口の中であんこと調和して和菓子か洋菓子か区別をつけられないと思ったのが率直な感想です。あんこをあんことあまり感じさせないくせに、あんこの味を上手く出してる小洒落たクッキーとでも言った方がいいかな?!
クリアな包装に稲造氏の顔のシール、スタイリッシュでインパクトもあると思います。
・青森南部土産にコレを買って帰る
・職場で配る
・「新渡戸稲造」?確か5千円札だっけ?
・「えっ?何した人?」
・「何で、十和田市?」
っと、どんどん連鎖して行く 稲造&青森県十和田市!
稲造ファミリーの功績
南部の皆さん、これからは土産を用いて 青森県を知ってもらう手法を展開しようじゃありませんか! 土産は、人の心を開きます、そして胃袋をつかんだ後は、青森自慢を炸裂して耳を独占してやりましょう。
この「新渡戸稲造の里」を箱入りで頂いたら何かありがたい気さえしちゃうお菓子です。
是非ご贈答にお勧めいたします。
新渡戸稲造氏の五千円札は、1984年から発行されて、2006年まで26年間にわたり刷られた貴重なお札。今も尚お持ちの方は、大切にしてくださいね。
注意:現在は名作「たけくらべ」で有名な小説家「樋口一葉」さんが起用されいますね。
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新渡戸稲造について
[新渡戸稲造は農学と法学の博士]
新渡戸稲造は1862年に現在の岩手県盛岡市に生まれた人です。当時、稲造のお父さんの十次郎や、おじいさんの傳が三本木(現在の青森県十和田市)で開拓をしていました。そして、稲造は自分も農業や開拓にかかわる仕事をしたいとおもって、札幌農学校に入学。さらにアメリカやドイツにも留学して、農学と法学の分野の博士になった。
[稲造は日本文化と世界の文化のかけ橋になろうとした人]
『武士道』(ぶしどう)という日本を世界に紹介する本を英語で書き、それはアメリカで出版されて、いろいろな国のベストセラーになっています。
本当にこの本は有名で、外国の人が日本を知るバイブルだった時もあったかもしれないと思うほどです。
[稲造は国際平和のためにはたらいた人]
第一次世界大戦のあと、国際連盟という、世界の国々が平和のために話し合う会議がつくられ時に、稲造はその事務局次長として働いた。
平和を願いながら稲造は残念なことに他国カナダの地でお亡くなりになりました。その6年後に、ふたたび第二次世界大戦という大きな戦争がおこってしまった。
開拓する人を親に持ち、心をまっすぐに進んだ 新渡戸稲造さんの願いは全ての人類が唱えるべき問題です!LOVE ?PEACEと言ってしまえば、簡単かもしれませんが それで良いんじゃないかな~と思いました。
新渡戸稲造氏を紐解いて、まさか最後にLOVE?PEACEでしめるくだりになろうとは自分でも、想定外でしたが やっぱり 簡潔に言うと ラブ&ピースなんですよね!
大竹菓子舗に学ぶ、新渡戸稲造氏の痕跡でした。
大竹菓子舗HP
http://www.ootake.net/index.html
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