いつも「青森の魅力」をご覧頂いている皆さん、ありがとうございます。魅力特派員のakkyです。
今回は、弘前城築城400年祭マスコットキャラクターである「たか丸くん」をデザインされた妹尾昭吾さんと、秋田県のゆるキャラ・にゃまはげ仮面「ニャッパゲ」をデザインされたやなぎはらともみさん、お二人の対談を、この「青森の魅力」で実現いたしました!
たか丸くんとニャッパゲ(ニャジロウ)はすでに一度、共演済み。
(詳細は、魅力No.1643:2011弘前城雪燈籠まつりにキャラんど集合!をご覧ください!)
そんなたか丸くんのパパとニャッパゲのママであり、デザイナーとして第一線で活躍されるお二人に、弘前という土地の魅力と、キャラクターを通した地域活性の可能性について、存分に語って頂いております。
青森県・秋田県を代表する人気キャラのパパとママが語り合う、他では絶対に読むことのできないこの企画、どうか最後までお楽しみください!
◆妹尾昭吾(せのお しょうご)
1977年(昭和52年)3月14日 大阪府茨木市出身
1995年(平成 7年)3月 大阪府立北千里高校卒業
1996年(平成 8年)3月 大阪スクールオブミュージック専門学校卒業
大阪府茨木市在住。(株)エンジンズ所属。個人事務所として「DESIGN ACT」も運営。弘前城築城400年祭のマスコットキャラクターデザインが全国に向けて公募された時、全676点の応募作品の中から、氏のデザインが採用された。
2010年「Shizuoka 城と戦国浪漫イメージキャラクター」において、氏がデザインした「しずポン」が最優秀賞を受賞。
尊敬するクリエイターは、足立靖/(株)エンジンズ、楠本征則/同、佐藤可士和、佐野研二郎/MR_DESIGN (敬称略)
【関連リンク】
株式会社エンジンズ
DESIGN ACT
弘前城築城400年祭
SHIZUOKA 城と戦国浪漫
◆やなぎはらともみ
1977年(昭和52年)7月24日 青森県弘前市出身
1998年(平成10年)秋田公立美術工芸短大産業デザイン科卒
1999年(平成11年)同校専攻科修了
秋田県秋田市在住。所属するデザイン事務所「ネコヤナギ」ではイラスト・キャラクターデザインを担当。2007年、飼い猫の「ニャジロウ」※1をモデルにした「にゃまはげ仮面 ニャッパゲ」をデザインする。ニャッパゲは現在、県内・県外を問わず、様々な企画・イベントで活躍中。
2009年~2011年の間、ABSラジオ「まにあっく☆倶楽部A's」のパーソナリティをつとめ、好評を博した。2011年には、原人舎より出版された『秋田原人』のイラストを担当している。
【関連リンク】
デザイン事務所「ネコヤナギ」
ニャッパゲ【公式】
原人舎
※1 ニャジロウは2011年5月18日、安らかな眠りにつきました。
緊張する親、二人
2011年5月29日。前日に行われた「弘前城築城400年祭記念式典」および「市民交流会」にゲストとして招かれた妹尾昭吾さん(以下、妹尾)と、この日早朝、秋田市から駆けつけてきたやなぎはらともみさん(以下、やなぎはら)両名の対談は、追手門広場内「salon de café Ange」の一室を借りきって行われました。
実はこの前々日(27日)、二人は弘前市内某所にて、関係者一同を交えつつ延々5時間語らいあっており、既にお互いの間に緊張は無い。はずだったのですが……。
緊張のせいか、なかなか目が合わせられない様子。
――:外を歩いている人たちからは、窓越しに覗かれて、お見合いしていると勘違いされているようですけど、それを払しょくするためにも、もっとリラックスしてください(笑)。
では最初に、お二人がキャラクターのイラストやデザインの仕事をされるに至ったきっかけを伺わせて欲しいのですが……。
妹尾:紙やweb、広告やポスターなど、たくさんあるデザインというカテゴリの中で、唯一全ての年代に受け入れてもらえ、また長く愛してもらえるデザインは、キャラクターだけだと思っていました。そういう普遍的なデザインが、僕にとって最も魅力的だったんです。
たとえば、一つの街のシンボルとなって、男女や年齢の別を問わず、同じ話題で盛り上がれるのは、キャラクターにしかできないことではないでしょうか?
だから、たくさんの人たちに夢や希望を与える仕事ができればいいなと思って、キャラクターデザインの道を歩み始めたんです。でも、僕のこの考えが大きな勘違いだったことは、たか丸くんを通じて気付いたんですけど……その話は、もう少し後に取っておきましょうか(笑)。
やなぎはら:期待させて引っ張るの、上手だなあ(笑)。私の場合はもう少し単純です。子供の頃から勉強も苦手、運動もダメだったんですけど、絵と文章だけは褒められることが多かったんですね。だからその頃から、漠然とではありますが「何かを表現する仕事」ができればいいなと思っていました。
中学の頃、先生に「あなたは絵も上手いし、文章も書けるから、デザイナーとか新聞記者とか、きっとそういう仕事に就くんだろうね」と言われて、本当にうれしくなりました。具体的にデザインの道に進みたいと思うようになったのは、この時の先生の言葉のおかげです。
その後、美術短大に在学中から編集デザインのバイトをはじめ、いろいろと経験を重ねながら、今に至ってます。
資格や試験のある仕事ではないですから、いつからデザイナーになっていつからイラストレーターになり……というのがわかりません。今はイラストの仕事が多いので、イラストレーターと名乗れる、んでしょうか……(笑)。
妹尾:当然です!(笑)
「弘前」という土地が結ぶ思い
――:だいぶ緊張も打ち解けてきたところで、では次にお二人の、「弘前」という街への関わりや、弘前に対する想いをお聞かせ下さい。
妹尾:僕の場合は、やはりキャラクターを通じてということになります。2009年、弘前市が「弘前城築城400年祭」のマスコットキャラクターを募集していたのを知って、これにチャレンジしようと思ったのが、弘前との関わりのきっかけです。それまでは、桜とりんごで有名な街、というくらいの知識しかありませんでした。
でも、築城400年祭のキャラクターを考えるにあたって、とにかく弘前城のことを調べました。たぶん関西だと僕以上に弘前城のことを知っている人はいないんじゃないかっていうくらい、いろんなことを勉強しましたね。
やなぎはら:弘前市の人よりも詳しいんじゃないですか? 少なくとも、私よりは詳しいと思う(笑)。
妹尾:そうですね、やなぎはらさんよりは絶対に詳しいですよ(笑)。というのも、自分の住んでいる土地のことなんて、特に若いうちは興味が無い人ばかりじゃないですか。僕も、大阪城のことは実はあまりよく知りません。
やなぎはら:弘前に住んでいる頃は岩木山だってお城だって、特別な風景ではなく当たり前のもの。何も無くて、つまらないと思っていました。でも、それから何年もたって、こういう形で改めて弘前を訪れた時、なんて素敵な街なんだろうって感じました。
妹尾:そうなんです。僕も、知れば知るほど弘前のことが好きになってしまうんです。大阪で仕事が無ければ、すぐにでも弘前に引っ越してきたいくらい大好きです。
やなぎはら:私は高校を卒業してからすぐ、秋田の美短大に進学してそのまま、秋田の人間になりましたが、自分が弘前という街を改めて意識するきっかけになったのは、たか丸くんがいたからなんです。初めてたか丸くんを見た時、「何この可愛いキャラ! 頭にお城が載ってる!!」と思って、そこから弘前城築城400年祭というものに気づいて、そうやってどんどん、故郷である弘前への思いが膨らんでいきました。
だから妹尾さんは私にとって、弘前という土地への愛着を思い出させてくれたキッカケを作ってくれた方なんです(笑)。
たか丸くん、出生のヒミツ
――:弘前という土地に対するお二人の関わりや思いが分かってきました。
それでは次に、やなぎはらさんが改めて弘前を好きになる原因となったたか丸くんというキャラクターが、どのようにして生まれたのか、妹尾さんの口から聞かせて下さい。
妹尾:「たか丸くん」という名前そのものは、僕が考えたのではありません。僕のデザインしたキャラを基に弘前市が名前を募集した中で、岩木小学校2年生(当時)の高森敦希さんが名付けてくれたのが、たか丸くんという名前なんです。すごく良い名前を与えてくれて、とてもうれしく思っています。
それでは、たか丸くんのデザインはどうやって生まれたか、ということですが……応募に当たって最初に考えたのは、りんごと桜のキャラはやめよう、ということでした。自分を弘前市民に置き換えてみた時、ふるさとのイメージが「りんごだけ」「桜だけ」って固定化されちゃうのは、弘前市の人は嫌がるんじゃないかと思ったんですね。
そこで、弘前城のことを調べていくうちに、このお城がかつては鷹岡城と呼ばれていたことを知りました。その時、築城400年祭のマスコットキャラクターとして相応しいのは鷹しかない、と閃めきました。
ちなみに、たか丸くんは「ノスリ」という種類の鷹なんです。日本の鷹の中だと、いちばん小さくておっとりした性格の鷹なんですよ。あの体型だし、どう考えてもそんなすばやく動けないでしょ?(笑) もちろん鷹だから、他の鳥に比べると強いんですけどね。
やなぎはら:知らなかった!
妹尾:本人も知らないんですよ。彼は自分のことを、アメリカのハリスホークっていう大型の鷹だって思いこんでるんです。いつか教えてあげなきゃって思ってました(笑)。
やなぎはら:たか丸くんは、お城を被ってるのがまた、すごくインパクトありますよね! 弘前城は、中学生や高校生の頃によく写生大会で書いていたので、すごく記憶に残ってるんです。なので、この角度から見たお城、懐かしいなあ、なんて(笑)。ところで、あのお城の中はどうなってるんですか?
妹尾:あれはあくまでカブトなんで、あれを脱ぐとたか丸くんの頭が丸見えになりますよ(笑)。
やなぎはら:小さい頃、父と弘前城に入って、階段が急で怖くて泣いたことがあって……。もしかして、あの恐怖の階段がたか丸くんの頭の中にあるのかなと思ったんですが……そうなんだ、ないんですね! じゃあ人を落とす仕掛けは?
妹尾:人を落とす?
妹尾:あー! あれは城を攻められた時、上ってくる敵の頭上から石を落して攻撃する仕掛けですね。
やなぎはら:えっ!? ナマハゲ的に「悪いことをしたら、ここから落とされるんだぞ」って父から教えられてた!
妹尾:違います! ほら、やっぱり僕の方がやなぎはらさんより弘前城のことを知ってた(笑)。
やなぎはら:がーん。
やっぱり猫が好き
――:妹尾さんの自信が確信に変わったところで(笑)、それでは次にやなぎはらさんが生み出された「ニャッパゲ」というキャラクターについてお話を伺わせて下さい。
やなぎはら:私の場合は、単純に飼い猫のニャジロウが好きすぎたんです(笑)。この子は何かを、才能を持ってる、と親バカみたいに信じていました。この可愛さを周りのみんなに広めなければ、と思ったんです。
やなぎはら:それが2007年の頃で、世間的にはちょうどゆるキャラブームが盛り上がりつつあったので、デザイナーの主人と相談して、ニャジロウをキャラクター化することにしたんです。まず、普段は気弱なニャジロウが、なまはげと合体してニャッパゲになる、という設定を作り出しました。
やなぎはら:そこから世界観を広げていって、そのまま映像や音楽やグッズの展開ができないかなあ、なんていろいろ考えていたんです。それでさっそく、公式のHPを作ってみたら、一か月もしないうちにソニーデジタルさんから「うちでコンテンツを配信しませんか」というオファーがあったり、お土産屋さんから商品化しませんか、という問い合わせがあったり……。
妹尾:すごい! 僕がニャッパゲのことを最初に知ったのは、「日本全国ご当地キャラクター図鑑」(2009年 新紀元社)を読んだ時ですね。そこで紹介されていたすべてのゆるキャラの中で、ニャッパゲが断トツに可愛くて、衝撃を受けました。ゆるキャラってこういうものだ!と思い知らされました。正直、悔しかったですね、デザイナーとして。
やなぎはら:でも最初の頃はよく、初めてニャッパゲを見た人に質問されたんです。「どうして秋田なのに、犬のキャラじゃないの?」って。やっぱり秋田犬のイメージが強いんですよね。でも、ニャジロウだって秋田で生まれた、秋田の猫なんです。秋田の猫のキャラがいたっていいじゃないかと(笑)。
――:それが今や、秋田県内や県外のイベントに引っ張りだこですもんね!
やなぎはら:徐々に受け入れられてきて、本当にうれしいです。
以下、後編に続きます。
【お知らせ】
本対談の主役のお一人、妹尾昭吾さんがデザイナーとして参加されている
「カサ かさ 傘 の可能性を見てみたい Roulette 傘の展示会」が、
2011年6月1日~6月30日まで、東京都千代田区 Arts Chiyoda 1F tobimushi にて開催中です。
何とたか丸くんもデザイナーとして参加!
詳しくは 魅力No. 1749 たか丸くん、デザイナーデビュー!! 東京に作品出展中!! をご覧ください。
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