魅力No.507


歴史探訪 ~野辺地町編~

その雄姿は今も静かに佇む

今回は野辺地町にある愛宕公園に歴史探訪に行ってきました。

こちらは町を一望できる公園で、明治17年に高橋亭山の監修により建てられました。4、5月の桜の季節には一面桜が咲き誇り、景勝地として知られています。
透き通る日差しと林の中の散策路を行くと、松尾芭蕉「花さかり山は日ころの朝ほらけ」、石川啄木「潮かをる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇よ今年も咲けるや」、などの句・歌碑があり、昔の歴史を感じながら散策ができます。
私が、ここでご紹介したいのはこちらです。

その雄姿は実寸大で公園の中腹に静かに佇んでいます。

こちらの馬は「花鳥号」といい、宮内庁の所有であり明治天皇が東北巡幸の折に、この地で倒れたご料馬です。この銅像は岩手県一関市出身の伊藤国男先生が作られた銅像です。

天皇はもとより皇室に献上された南部の馬は歴史的にも多く存在しています。純種の南部馬ではありませんが、現在でも南部からは献上馬が出ています。最近では平成9年に、なんと皆さんもよくご存じの「十和田乗馬倶楽部」から「キプロクキング」という馬が挽馬の種馬として献上されているのです。

 

碑文にありました文章を訳している一説を見つけましたのでご紹介したいと思います。

~御料馬の黒い馬は米産。堅い蹄、輝く瞳、優れた気性は秋空に満ちた。名付けて花鳥、天皇の御馬車をひいた。手綱さばきによく応え、天皇もしはしば目を見張った。明治9年の御巡行で青森に出られた際、良馬は野辺地にて斃れた。天皇は憐れんで、金子をご下賜された。なきがらを常光寺に納め、功を石に刻して称えることとなった。聖恩はまことに広く、あまねくゆきわたり、動物をも見棄てられない。花鳥号を葬るに際しては、古法に則り、幕とすだれに包んだ。このことを、篆書体で刻み今明らかにするものである。この馬の才能を思うと、この駿馬の名はとこしえに香る。~

これを読むとその雄姿が伝わると感じながら居たところ、実は、こちらの料馬は他の部分でも登場していて、旧制野辺地中学校開校記念歌の歌詞3番に出てくるのです。

その土地の歴史を知っていくことは非常に有意義な時間で、経験を後世に残していくためには非常に大切なことだと思います。ぜひ皆様もその土地に眠る歴史に目を向けてみてはいかがでしょうか?

最後にこちら公園からの眺望をご紹介したいと思います。

石段を登っていくと・・・・・

野辺地町を一望できるスポットに到着します♪

春には桜、こいのぼりのイベントなど多数行われている野辺地町民に愛されている公園です。

皆様もお立ち寄りの際にはぜひ♪

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