今日和、new_rockです!
今回はこちら!
第22番札所
無量山 正覚寺 浄土宗
旧寺町に立ち並ぶ四ヵ寺の中では、その創立が一番古い寺院です。善知鳥村が青森村と改名され、ようやく街が出来始めた頃の寛永三年、時の開港奉行森山弥七郎が民心安定の為寺院設置の必要を津軽藩主信枚に願い出て建立されたそうです。
開山は当時、弘前誓願寺末寺竜泉寺の住職であった龍呑上人でした。寺名は、始め覚正寺でありましたが、藩祖津軽為信の菩提寺革秀寺と紛らわしい事から正覚寺と改められたそうです。
本堂前の石灯籠一基は、宝歴十一年七代藩主津軽信寧が九代将軍徳川家重の追善供養の為江戸の増上寺へ献納したもので、戦後、正覚寺へ下付されたものだそうです。
境内の菩薩堂古くから津軽三十三観音霊場の二十二番札所として広く信仰を集めているそうです。なお、明治六年七月二十八日から開校された青森小学校の仮校舎は、当時この正覚寺で教育発祥の地だそうです。
初見の感想は、『デカッ!!!!!!』でした(笑)
今迄巡って来た札所がささやかだったり、街中ってよりも自然の中って感じでしたから余計に感じたのか……いや、それだけじゃないはず。やっぱりデカい!!!広いっっっ!!!
そして、生憎の曇り空で全体的に暗い写真が多くてすみませんm(_ _)m
上の写真は、正覚寺観世音石標です。割れてしまった部分を修復している跡が生々しいですね。
左:写経塔 右:「旅立ちの法然様 13才の像」って書かれてました。
個人的には……自然と一体化してて、こじんまりとした札所が好きですが、これはこれで有りなんでしょう。戦火を逃れた観音様を拝観出来るしね(^▽^)
他の札所でも、火災にあったりして観音堂・堂宇が焼け落ちても本尊は無事だったりしています。やはり神様のお力なんでしょうかね~。でも、そのお蔭で歴史あるご本尊を見れるのは有りがたい事です!
ご詠歌
浪の音松の響きも御法にて 風をも弥陀の正覚寺かな
江戸時代の頃、この附近は白波の音や吹く松風の声のする風光の地であったのでしょう。このご詠歌には仏教の深遠な意味が含まれているのでしょうが、「青森」の地名が如実に示すように、松の生茂った静かな霊地だったのではないでしょうか?県都・青森市の今日の盛況を目の前にすると往時の姿は想像することが出来ません。
※ガイド参照※
その通りですよね~、追手門広場の図書館二階には沢山の資料があります。ここで当時の街並みの写真もあるのですが、正直想像がつかないって感じです。江戸時代とか……世界はどんなだったんでしょうね!
ではでは、次回『第23番札所』でお会い致しましょう!
1:久渡寺(上・中・下) 2:多賀神社 3:聞求寺 4:南貞院 5:十腰内観音堂
6:湯舟観音堂 7:北浮田弘誓閣観音堂 8:日照田観音 9:見入山観音堂
10:円覚寺 11:下相野観音堂 12:蓮川観音堂 13:川倉芦野堂
14:弘誓寺観音堂 15:薄市観音堂 16:今泉観音堂 17:春日内観音堂
18:海満寺 19:義経寺 20:高野山観音堂 21:鬼泊巌屋観音堂