今回はこちらっ!
第24番札所
入内観音堂
まず前回の夢宅寺を出発し、国道四号線で一度青森市街へ戻ります。堤橋を渡り左折、青森空港方面の標識に従い堤川沿いに進んで行きます。横内⇒高田⇒追分へと進むと道が左右に分かれます。入内に行くには左折して下さいね!
ガイドブック様様です←(笑)
南部家出身の堤弾正左衛門が、青森平野の中央を流れていた荒川を、軍事上の目的から流れを変え『堤川』を開削したそうです。この結果、周囲の新田開発は促進し、流域に多大な恩恵をもたらしたそうです。
堤橋から浪岡へ行くこの道ですが、昔は陸羽(奥州)街道と呼ばれ、主要道の1つとして使われていました。今も道には松並木が残っています。
小館の集落を過ぎると山間に入ります。そのまま進むと、老杉に覆われた小金山神社の前に出ます。
入内観音堂は、この小金山神社に隣接しています。
駐車場スペースも広く(向かいに広い空地有り)、何処に停めたら良いのかな~って事にはならないので安心です。上の画像は、駐車スペースにあった石碑です。
杉林は巨木が多かったのですが、中でも小金山神社の参道にある二本の巨大な杉が凄かったです。こちらですね!
上の写真は、【ぱわすぽ青森】のバナーで利用しました!幹のどっしり感は凄いですよね。
左手に観音堂があり、右手に小金山神社の社殿があります。
私は行きませんでしたが、少し山を登ると薬師如来と阿弥陀如来を祀った小堂があり、その上には白山神社があるそうです。
こちらは境内にありました末社です。ひっそりと佇んでいました。
縁起
大同年間(806~810)に蝦夷征伐の為出陣した『坂上田村麻呂』が、蝦夷の首長・大獄丸を討ち、その首を埋めた上に観世音を安置したのが始まりとの事。山間のひんやりとして静寂な空気の中、それを考えるとちょっと背筋がひんやりしますね(^_^;)
天慶(938~947)の頃には平将門の孫・信田小太郎が白山権現社と観音堂を建立したとも伝えられているそうです。家臣の謀反に合い、難を逃れてこの地へ辿り着き、神仏に救済を祈願したそうです。
津軽為信は観世音を再建して華福寺の寺名と三十石の寺禄を与えているそうな。しかし、無住や御堂の焼失などで荒廃してしまい、寛永16年(1641)になり漸く再興の気運が高まり、村人達の手によって再建されたそうです。
明治維新には観音堂に神体が祀られ、小金山神社となりましたが、明治中ごろには再び観世音が奉安され巡礼が訪れていたそうです。昭和の初めになると、小金山神社が建立され独立し、観音堂は本来の姿を取り戻しました。
御堂は昭和20年に一度焼失し、昭和30年に再建を果たしたそうです。
青森市指定文化財(有形文化財)
狛犬一対
薄緑色をしたこの一対の狛犬は、寛文5年(1665)に越前国新保の中村新兵衛から寄進されたものである。頭髪が垂れ下がっているところに、その特色を見出す事が出来る。狛犬の石の材質は、足羽山(福井市)産出の笏谷石(凝灰石)であるという。開港以来40年という歴史の浅い当時、青森港と北陸地方との交易。海軍事情を解明する上で貴重なものです。
頑張って写真を撮ろうとしたのですが、自前のデジカメだと限界が(-_-;)奥の社殿に小さく見える薄緑色の狛犬が『有形文化財』に指定された狛犬です。
久須志神社の石碑
いつ建てられて物なのかは不明です。
小金山神社境内の狛犬
サムネイル表示にすると、丁度目線が切れるっていう………(笑)是非クリックして可愛いお顔を拝んでおくんなさい!
拝殿の向拝下木鼻の狛犬
小金山神社境内のご神馬
最後にご詠歌
おしなべて 貴く賤しき 者までも ここに歩みを 運ぶなりけり
では次回「第25番札所」でお会い致しましょう!
1:久渡寺(上・中・下) 2:多賀神社 3:聞求寺 4:南貞院 5:十腰内観音堂
6:湯舟観音堂 7:北浮田弘誓閣観音堂 8:日照田観音 9:見入山観音堂
10:円覚寺 11:下相野観音堂 12:蓮川観音堂 13:川倉芦野堂
14:弘誓寺観音堂 15:薄市観音堂 16:今泉観音堂 17:春日内観音堂
18:海満寺 19:義経寺 20:高野山観音堂 21:鬼泊巌屋観音堂