魅力No.562


蜂のマークの、旧弘前偕行社


弘前偕行社って、どんな建物?

江戸時代には城下町として、津軽地方の中心として栄えた弘前ですが、明治政府が断行した廃藩置県により、県庁所在地はごくわずかな期間だけ弘前とされたものの、すぐに青森に移ってしまいました。そのため一時期、弘前の町は衰退を辿ったと言われています。
そんな弘前が再び賑やかな町となるきっかけとなったのが、明治三十一年(一八九八)の旧日本陸軍第八師団司令部の設置でした。
「師団」とは、陸軍において戦闘・補給・通信など軍隊が必要とするすべての機能を備え、独立して行動可能な最小の戦略単位のことです。この第八師団には、山岳史上最悪の遭難事件とされる、明治三十五年(一九〇二)に発生した八甲田山雪中行軍事件にかかわった、青森歩兵第五連隊や弘前歩兵第三十一連隊が所属していたことでも知られています。日露戦争では満州における対ロシア戦用の切り札として現地に派遣されました。この辺りの事情は、フィクションではありますが、司馬遼太郎の巨編『坂の上の雲』に詳しく記されています。
ともあれ弘前は、この第八師団の設置により戦前は、軍都として栄えることとなったのです。その、第八師団の親睦・厚生組織として弘前市内に建設されたのが、「弘前偕行社」でした。


弘前藩九代藩主津軽寧親(やすちか)の別邸跡地二万二千平方メートルの敷地に明治四十年(一九〇七年)、イタリアルネッサンス風デザインを基調として、弘前偕行社は建設されました。設計担当者は、明治時代における青森の洋風建築の代表者、堀江佐吉です。明治四十一年(一九〇八)には皇太子時代の大正天皇がここに一泊し、その庭園を「遑止園」(こうしえん)と命名しています。第二次大戦終戦後、偕行社は解散し、その敷地と建物は昭和二十四年(一九四九)、大蔵省より弘前女子厚生専門学校に対し払い下げられました。

その後、昭和五十五年(一九八〇)まで、同学院および付属みどり保育園の施設として使用されてきましたが、現在は市の協力も得て、弘前厚生学院記念館として保存されて、一般公開されております。また、平成十二年(二〇〇〇)には県重宝に、翌年には国の重要文化財に指定されて、今に至っています。

入ってみよう!

というわけで、前置きが長くなりましたが、本日はこの、旧弘前偕行社を見学させて頂きます。

門をくぐって正面の庭園を抜けると

堀江佐吉が設計したままの姿の、旧弘前偕行社が広がります。

建物正面入り口の受付で、中を見学したい旨を伝えると、案内の方がやってきます。
中に入ってすぐに通されるのは、かつて第八師団の将校たちがパーティを行ったという大広間。


天井までの高さは五メートル以上あるそうで、とても広々としています。シャンデリアや暖炉も、当時のまま。


こうしたインテリアは現在では再現できないものも多いそうで、建築学上でも珍しいらしく、遠く関西や九州・四国からも見学にやってくる人たちがいるのだとか。広間をはさんで正面入り口と反対側には、庭園が広がります。その庭園に面した廊下がこちら。

この廊下から庭に面した窓ガラスのほとんどは、建築当時のものだそうです。

上の写真ではちょっとわかりにくいかもしれませんが、外の風景がゆがんで見えるガラスが、昔のままのガラス。たいへん頑丈だそうで、これもやはり今の技術では作ることができない立派なものだそうです。この廊下からさらに建物の奥に案内されて、行きついたのはこちらの部屋。

偕行社の責任者の、執務室だった部屋です。もっとも、今残されている家具のほとんどは、戦後にこの建物を引き取った方の所有物とのこと。軍の備品は、戦後ほとんどすべて、機密保全のために回収されたといいます。
案内の方の説明によれば、私がここを訪ねる数日前に、県外から八〇歳過ぎの老婦人がお孫さんに連れられていらっしゃったそうです。
そのご婦人は、なんと戦前、ここで働いていた方だそうで、この部屋に案内されて一言
「初めて、閣下の部屋に入った」
と、つぶやかれたのだとか。歴史の重みを感じてしまいます。この部屋の、さらに奥にあるのが応接室。

この部屋には、軍が残していった数少ない備品の一つが展示されています。それがこちら。

軍で使用していた、灰皿だそうです。
さらにこの部屋には、かつてここに宿泊した大正天皇直筆の書も飾られています。

続いて、会議室に案内していただきました。

この部屋は、冒頭で触れた八甲田山雪中行軍事件をモデルとした、日本映画史上の名作「八甲田山」のワンシーンで使用されたそうです
そしてこの部屋には、旧軍が残していったもう一つの備品であるイスが展示されています。

そして、現在のイスと並べて比較したのが、こちら。

今のイスより少し、小さいですね。これは、戦前の日本人の体格に合わせて作られているためだそうです。当時の日本人男性の平均身長は、一五〇センチだったそうですので、納得ですね。

蜂のマークって?

最後に、裏の庭園を案内していただきました。


現在も隣には保育園があるため、この日も園児たちが、緑の芝生の上で元気に遊びまわっていました。

案内の方によれば、これだけ広い庭を持った保育施設というのは全国でもほとんど無いそうです。
たいへん恵まれた環境がうらやましいと、思いました。
……ところで、このレポートのタイトルは「蜂のマークの、旧弘前偕行社」となっておりますが、これはどういう意味かと申しますと。

正面玄関のポーチに彫られた、この蜂の意匠のことであります。どうして軍の施設に、蜂が?と思われるかもしれませんが、これが設計者堀江佐吉、一流のユーモアだったそうです。すなわち、第八師団の施設なので、はち(蜂)のデザインを入れたのだ、そうな。チャンチャン!!

落ちがついたところで、今宵はここまでに致しとうござりまする。かつての軍都、弘前の雰囲気を忍ばせる旧弘前偕行社、市内観光の折には一度、訪ねてみて下さい。

旧弘前偕行社
〒036-8151 弘前市御幸町8-10
電話 0172-33-0588
開館時間 午前9:00~午後4:00
休館日 土・日・祝日

青森県弘前市大字御幸町8−10

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