魅力No.851


由緒正しい、「黒石神社」 ~黒石市

 黒石神社1

今回は、黒石市にある「黒石神社」のレポートです。
こちらの神社は、黒石市役所の近くにあります。
夏に行われる「黒石よされ」を見にいらっしゃった方は、この神社の前を通りかかったことがあるのではないでしょうか?

黒石神社4 

黒石神社の創建

江戸時代の寛文2年(1662年)に黒石津軽家の祖とされる「津軽信英(のぶふさ)」が弘前城で死去すると、黒石陣屋東南の隅に廟を建立して埋葬したのが始まりと伝えられています。
陣屋とは、大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷のことです。
黒石陣屋は、今の黒石市民文化会館から御幸公園へかけての一帯にあったそうです。
明治時代に入り黒石陣屋が廃城になると、旧家臣達は藩祖の遺徳を偲び明治12年に神祭願いを県令に提出、社殿建立に至りました。

黒石藩祖「津軽信英(のぶふさ)」公とは

黒石藩祖「津軽信英(のぶふさ)」公は、弘前二代藩主「津軽信牧(のぶひら)」公の次男としてお生まれになりました。藩祖「津軽為信(ためのぶ)」公の孫に当たります。

「津軽信英(のぶふさ)」公は幼少より文武に励み、特に当代第一流の軍学者山鹿素行(やまがそこう)の高弟として兵学・武術・文学を学び、遊戯諸芸をも学ばれ、人格も温良慈仁にして、政治においては良政をしかれました。
その学識と執政は、諸大名の間にも高く評価されいたそうです。
父である信牧公から分知された黒石に、屋を建て町割りを行い黒石藩の基を築いたお方です。

黒石神社2

本当に由緒正しい黒石神社

黒石藩は、弘前藩の支藩になります。
しかも、現在の黒石神社宮司をお勤めのお方は、津軽黒石家15代当主でもあります。

つまり、黒石神社宮司は別レポートで私が頭をたれた「津軽為信(ためのぶ)」公の、直系のご子孫です。

以下の図式が出来上がります。

「津軽為信(ためのぶ)」公
     ↓
「津軽信牧(のぶひら)」公
     ↓
「津軽信英(のぶふさ)」公
     ↓
「津軽黒石家15代当主黒石神社宮司」様

お会いできたら「私」は土下座です

黒石神社3

黒石神社には、青森県重宝に指定されている「金梨子地牡丹紋散蒔絵衛府太刀拵御神刀」と呼ばれる御神刀等の社宝がございます。
津軽家のご子孫が、津軽藩のお宝を大事にお守りしているのです。

このように、非常に由緒正しい「黒石神社」是非、一度ご参拝くださいませ。

「黒石神社」の位置はこちら、

青森県黒石市市ノ町18

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