魅力No.1372


南部馬の歴史3

鎌倉・戦国時代~武士が競って求めた南部馬

今回は2回に分けて、紹介したいと思います。

平安時代、みやこびとにとっての南部馬は、大きくてきれいな「観賞用」。貴族にとっては、財力を誇示するための「自慢用」として人気を博していたそうです。

やがて武士の時代に入ると、戦で勝つために無くてはならない「兵器」として、南部馬がもてはやされます。自分の命をかけて、名誉と褒美を得るための道具だったわけですから、乗用馬としての優秀さが高く評価されていたわけです。

源平合戦『平家物語(1177)』、『源平盛衰記(年号不詳)』

 

佐々木高綱と生咬(ささきたかつなといけづき)七戸産

反乱を起こした木曽義仲が京へ侵攻し、宇治川を挟んで頼朝軍と対峙した。真っ先に敵陣に斬り込んだ物は多分な恩賞もらえるため、2人の武将がわれ先へと川に進み行った。これが有名な『宇治川の先陣争い』

 

梶原景季と磨墨(かじわらのかげすえとするすみ)三戸産

宇治川の先陣争いでは高綱に遅れを取った景季だが、男伊達に勝る(おしゃれな)武将としても知られている。合戦に際してはエビラ(矢を入れて背負う道具)に梅の枝を挿すなど、粋なところがあった。「乱暴で野暮ったい坂東武者の中にも雅を解する者がいる」ということで、敵味方を問わず人気があったという。

 

源義経と太夫黒(みなもとのよしつねとたゆうぐろ)五戸産

都落ちした平家は、一ノ谷の峻しい山腹に陣を張り起死回生を狙う。そうはさせじと義経が奇襲をかけたのが、有名な『ひよどり越えの逆落とし』。義経は道案内に「屏風の如きこの断崖を人馬は通るか?」と聞くと「人馬は通りませぬが、たまに鹿がとおります」との答。義経は「鹿は四足。馬も四足。鹿が通って馬が通れぬ筈はない」と言って自ら断崖絶壁を駆け下りました。

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