魅力No.1374


南部馬の歴史5

最後の南部馬その1~金華山号~

こちらの写真見にくいかもしれませんが申し訳ありません。

 

御料馬 金華山号(ごりょうば きんかざんごう)

こちら明治天皇の愛馬として有名な『金華山号』も南部馬でした。明治2年に宮城県鬼首村(現鳴子町)で生まれ、岩手県水沢町で飼われていたものを、明治9年、東北巡幸中の明治天皇自らが見初めてお買い上げになったそうです。金華山号は御料馬としての16年間に、公式行事だけで130回も務め、その優秀さを物語る逸話が多く残されています。

1、       資質鋭敏令悧にして沈勇。万馬がいななき蹄が大地を響かしても動じず、突然の砲声や小銃にも驚いたことがない。

2、       谷川に架かる橋のたもとで動かなくなった。調べたところ橋台に朽ち木があるのが判り応急処置をしたところ、素直に橋を渡った。

3、       青山練兵場での観兵式。地盤が崩れて危ない姿勢になったが、三本脚でこらえたまま最後までたっていた。

 

「癖なきは得がたかりけり 牧場より進めし駒の数はあれども」

癖のない馬というのは、なかなか手に入らないものだ。牧場からやってくる馬はたくさんいるのだけれど。(そんな馬にめぐり合えた私は幸せだ)

「乗る人の心をはやく知る駒は ものいうよりもあわれなりけり」

馬に乗っている人間の気持ちをすぐに察してくれる馬は、言葉を言わないだけに、ますます愛おしく思える。

「久しくもわが飼う駒の老いゆくが 惜しきは人に変わらざりけり」

長いこと飼ってきた馬もすっかり年をとってしまった。願いが叶うことなら、この馬が人間に姿を変えてくれればいいのに。

明治28年、金華山号は26歳で亡くなりました。人間で言うと104歳。かなりの高齢です。その金華山号の死を悼んだ明治天皇は、亡骸をはく製にして愛馬を偲びました。ちなみにそのはく製は今もなお明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に安置されています。

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