どうもgakutinn3です。
今回は、平成24年3月31日で89年の長い歴史に幕を下ろした、
十和田観光電鉄 鉄道部門(とうてつ)について紹介します。
廃線までの約1ヶ月間行われた「TKD89ミュージアム」
89年の長い歴史を感じる資料等が展示している中、一際目立つのが壁一面に貼られた写真の数々です。
このイベントで色々な写真を撮り、イベントに提供した
十和田市在住のカメラマン小沢純二さん
「電車が無くなるのは、やっぱり淋しい・・・。」
電車のある風景を忘れないようにと今回撮った写真も含め、とうてつの写真集を作成中だそうです。
5月頃までには完成するそうなので、是非とも拝見したいと思いました。
十和田観光電鉄鉄道部門は、1922年(大正11年)古間木(三沢)~三本木(十和田)間の約14.7kmで運行を開始しました。
長い歴史の中、「蒸気→ガソリン→電気」と、車両も変化してきたそうです。
と、普通は電車の車両などに関して取材すると思いますが、
今回は特別お願いして、
十和田観光電鉄の鉄道課で働いてきた方にスポット当て紹介したいと思います。
十和田観光電鉄株式会社 運輸事業部 鉄道課 技術部 車両変電区
主任 金澤 隆善 さんに
「とうてつ」の思い出などについて取材してきましたので、ご覧いただければと思います。
金澤さんは地元高校卒業後、鉄道の仕事をしたいと思い、十和田観光電鉄に入社。
車掌→整備工→運転士→整備工(変電所の管理も兼任)と約20年間とうてつ一筋で頑張ってきた方です。
十和田観光電鉄の鉄道部門撤退につき、同社バス関連部署に移動が決まっているが、
「何かしっくり来ない」という心境だそうです。
そんな金澤さんに、とうてつの思い出や、私の質問に答えていただきました。
ここ数年は、乗車客の減少による売上の落ち込みで、存続の危機を感じ、「七夕ビール電車」「カブトムシ電車」などのイベントの提案、運営を積極的に行なって来たが、赤字を補うにはまだまだ足りなかった。
「カブトムシも工場の裏に場所を確保し、俺らが飼育したんだよ」と笑いながら語る金澤さん。(枕木などを使って自作したカブトムシ飼育施設)
整備工場のとなりにある「七百変電所」の設備も鉄道関係者が驚くほどの古い設備のまま使用しています。
廃線が決まってから、今まで無かった事が起こってビックリしているそうです。
たとえば、変電所の設立記念で植樹された木が、3月の大雪で初めて折れてしまった。
長年、故障一つもなく稼動していたコンプレッサーが先日、炎を上げて壊れてしまった。
電車のトラブルも以前とは比べ用も無いくらいに故障が多くなった事など。
「こんな事って本当にあるんだね」
と、教えてくれる金澤さんは、普段は気さくでとても面白い方です。
「とうてつ」が、長い歴史に幕を下ろすことについて何か思う事はありますか?という質問をしてから、金澤さんの顔つきが少し変わりました。
「一生とうてつの電車に携わりながら仕事を終えると思っていた」
「時代の流れには勝てなかった・・・」
公共交通機関が都心部より不便な地方で「1人1台」車を持っている事が当たり前となっている今、車を運転出来ない高齢者や、高校生などの学生の利用が殆どで、少子化による学生の利用減少をきっかけに乗車料金を値上げせざるを得ない状況になり、
「乗らない、売上低下、値上げ、乗らない・・・」の悪循環が続いてしまい、
「日本一高い乗車料金」と言われ、電車離れの歯止めが効かなかった。
「電車が無くなると、通学に少なからず影響があると思う」
「学生さんには大変申し訳ない」
とうてつ沿線には、「十和田工業」「三本木農業」「三沢商業」の3つの他、十和田市から三沢市の高校に通学する学生、その逆のパターンの学生もたくさんいる。
電車通学が快適な学生もいるだろうし、バス通学の方が快適だという学生もいる。
その他、色々なパターンもあると思う。
そんな学生さんの「電車」という選択肢を1つ無くしてしまった事がとても残念です。
他にも、
「県内の市の中で唯一十和田市だけが、電車の駅がない市になってしまう事が残念」
とも語っていました。
たとえ利用客が少なく駅が小さくても、県内外問わず乗車していただける方が1人でもいる限り、街の玄関口ともいえる電車の駅が無いというのは、非常に淋しいし、人の流れが変わってしまうという戸惑いも感じるそうです。
廃線が決まってからは、全国の鉄道ファンの方々が数多く駆けつけ、 長年赤字運営だったにも関わらず黒字に転換したそうです。
「ここまで鉄道を運営できたのは、地域の方々と鉄道ファンのおかげです」
「本当に感謝しています」
「長い間ありがとうございました」
金澤さんは今、燃え尽きた感で何も手につかないそうです。
今後、とうてつの鉄道イベントで電車を走らせる等の予定は一切行わない方針で、89年間という長い歴史の幕を静かに下ろしました。
電車がある風景など、伝統がなくなってしまう事がとても残念な気持ちになりましたが、地域の方々の記憶や、写真などの記録に残るもので、今後の若い世代の方々に、
「昔は、ここを電車が走っていたんだよ。」
なんて光景ができたら、鉄道に関わった人達も喜ぶだろうな・・・。
なんて思いながらの取材でした。
とうてつさん。89年という長い間お疲れ様でした。
ありがとうございました。
素敵な活動をされている事に、正直驚かされました。
私は十和田観光電鉄の事は知っていましたが、
特に興味を持ったり、また、利用する事もありませんでしたので、
これといって思い入れがある人間ではないのですが、
青森県民として、このニュースは非常に寂しいと感じる所です。
今回、このような記事を拝見出来た事は、私の中でも1つ変化を
感じる事が出来たように思えます。
この記事から、金沢さんは『仕事に誇りを持っていた』と
感じる事が出来ます。とても素晴らしい事だと思います。
仕事をする上で、対人関係や売上げ、利益など、様々な事を
考えながら人は生きていかなければいけないと思うのですが、
こういった真っ直ぐな人が存在しているだけでも、そしてそれが
青森県民という事にも、自分事として非常に嬉しく感じます。
考える機会を与えて頂いた事に、心から感謝しております。
これからも、素敵な活動を続けていって欲しいと思います。
anatanotijin「S
2012.04.24
anatanotijin「S さんコメントありがとうございます。
県内の様々な人や物を取材する度に、「青森県民で良かったなぁ」と感じることばかりです。
これからも、いろんな角度から青森の魅力あふれるものを紹介していきますので、ご覧いただければと思います。
gakutinn3
2012.04.26
十鉄に乗った事は今まで数えるくらいしかありませんでしたが、駅そばが大好きでしょっちゅう食べていました。
廃線になってしまうという事実をただ表面から知るのではなく、そこで働いていた方のリアルな心情をこの記事で知り、何とも切ない気持ちになりました。
「一生とうてつの電車に携わりながら仕事を終えると思っていた」
この言葉に涙が出そうになります。
zoom
2012.04.06
zoomさん。コメントありがとうございます。
三沢の駅そばは今まで通り食べれるそうなのでご安心を。
廃線する鉄道を取材する時に、そこで働いていた人に注目すれば、ほとんどの人が知らない事柄が必ずあると思い取材しました。
今回は、私も取材しながら胸が熱くなる感じになりました。
gakutinn3
2012.04.06
偶然に3月31日の十鉄電車のラストラン(三沢→十和田→(最終)三沢)に乗ることができました。
実は、十鉄に乗るのはそれが最初で最後…なんですが、この車輌に、子供の頃や若い時分首都圏に住んでいてこの車輌に乗ったかもしれません。東急線(私が乗っていたのは主に東横線、大井町線、目蒲線、田園都市線等ですが)で活躍していた東急車輌製の電車…初めて乗ってもなんだか全然違和感が無かったです。
車輌にも“長い間ご苦労様”と言いました。
SigO
2012.04.05
SigOさん。コメントありがとうございます。
ラストランに乗車できたんですね。素晴らしいです。
東急から譲り受けたステンレス車両は、見えにくい所が雪国仕様に改造されていて、制御装置関連のボックス蓋が、雪の影響で不意に開かないようにや、雪の塊が付きにくくするようにと、新たなパーツが足し溶接したりと、色々工夫していたそうです。
そんな車両も鉄道業界では人気の車両で、欲しいと名乗りを上げている鉄道会社が出てきているそうです。
とうてつではお疲れ様でしたけど、またどこかで活躍する可能性が高い車両なので、「これからもがんばって!」という気持ちにもなりました。
gakutinn3
2012.04.06
なるほど、創意工夫もされた車両だったんですね。
見ればまだ十分使える車両だったのでいい歳就職先?が見つかるといいですね…本当に「これからもがんばって」欲しいです!
SigO
2012.04.08
「七夕ビール電車」
「カブトムシ電車」
私も、面白い事しているなあ、と見ていましたが、存続に向けての取り組みだったとは。
その後の記事を含め、うるっと来てしまいました。こういう人の想いをまとめる記事、素晴らしいですね。
くろしゃちょ
2012.04.05
くろしゃちょうさん。コメントありがとうございます。
存続のために色々やってきたそうで、イベントも自分達でなるべく費用を掛けずに運営したり、七百変電所の人員も7人から4人に削減され、とても大変だった事など、とうてつの方々も、見えにくい所で頑張っていた事に気付きました。
人の想いを記事にする事は、少し時間がかかりましたけど、書き上げた時の達成感が全く違い、取材できて良かったと思える内容でした。
gakutinn3
2012.04.05
jinさんのおっしゃる通り、とうてつに携わった「人」にスポットを当てることで「単なる事実を伝えるだけの記事ではない」ところが素晴らしいと思いました!
なくなってしまうからこそ、人々の心に残り続ける記憶ですね。
これからも私たちが知らない色々な青森の魅力を伝えてください^^b
たがまぁ
2012.04.05
たがまぁさん。コメントありがとうございます。
今回の取材は「電車に携わった人」の記事を書こうと思いお話を伺ったのですが、とても熱い話を聞くことができ、取材を通して私の心にも「とうてつ」が残り続けるようです。
これからもたがまぁさんに負けないように、南部を中心に魅力あるものを伝えていきまーす!
gakutinn3
2012.04.05
弘前在住で、今まで乗車する機会がなく
ニュースで知った次第です。
寂しいですね、乗ってみたかったな・・・
gakutinn3さん、十和田観光電鉄に携わってきたひとに
焦点を当てた丁寧なこの記事、胸を打たれました。
jin
2012.04.04
jinさん。コメントありがとうございます。
私も、とうてつ廃線のニュースを何度か目にしましたが、鉄道に携わった人からのお話が少なく、実際に働いていた人から廃線について取材できれば、良いお話が聞けると思い3月末に急いで取材しました。
取材している最中から、私の心も熱くなり、取材に来て本当に良かったと思いました。
gakutinn3
2012.04.05
今も昔も近代的な文明にはかなくも悲しいですよね。流れゆく月日の片隅にいつまでも残っていて欲しい、情景ですね
阿部年男
2012.04.04
阿部年男さん。コメントありがとうございます。
世の中が便利になる反面、何か他の多くのものを犠牲にしてきていると思います。
またひとつ田舎の風景が変わってしまったなと感じました。
gakutinn3
2012.04.05
なんでもそうですが、普段当たり前にあるものがなくなった時って
想像以上に淋しいものですよね。
たくさんの方がこの十鉄にお世話になり、ここを電車が走っていた。という事実を、忘れず伝えていきたいですね。
ところで、駅そばはどうなるんでしょうか?(・・)
mei
2012.04.04
meiさん。コメントありがとうございます。
そうですね。無くなるとなってから気付く淋しさって必ずありますよね。
駅そばの今後は、三沢の駅そばは、今の場所まま続け、十和田は、市の中心街にあるスーパーホテル近くのバスターミナルの中に移転するそうです。
gakutinn3
2012.04.05