今日は藤崎町の唐糸御前史跡公園を訪れました。
りんご畑にぐるりと囲まれたこの公園の中央にある女性の銅像が立てられています。
この旅人の格好をした女性は唐糸御前と言います。
唐糸御前には鎌倉時代から伝わる、悲しい伝説があります。
【唐糸御膳の伝説】
-----唐糸御前は、鎌倉の執権・北条時頼に仕える、心根の優しい才色兼備の女性で、やがて時頼の愛を一身に集めるようになりましたが、周囲の女性の妬みを受けることとなり、鎌倉を逃れ生まれ故郷の津軽の藤崎に隠れ暮らしていました。時頼は、病で執権職を退いた後、仏門に入り諸国行脚の旅に出ました。そしてやがて津軽を訪れることになり、唐糸御前は一瞬胸をときめかせましたが、田舎に落ちぶれ見る影もなくやつれた自らの姿を悲しみ、近くの柳の池に身を投じて、はかない生涯を閉じました。村人たちが唐糸御前の死を泣き悲しんでいるおり、北条時頼がこの地を訪れて唐糸御前の死を深く悲しみ、唐糸御前が通っていた平等教院という寺院に墓を営みました。(引用:藤崎町公式ホームページ)
ともて悲しいお話です。
旅人風の格好は鎌倉から藤崎に移動した際の姿なのでしょう。
公園には、銅像の他、唐糸御膳にまつわる松の古木や、石碑もありました。
この松の古木は、唐糸御前が通っていた平等教院があった場所だと云われています。
つまり、北条時頼が唐糸御前の墓を営んだ場所ということです。
私はこの松の古木から何か不思議な感じを受けました。
夜にこの場所を訪れると古木の前に佇む旅人の影が…。なんて噂がありそうです。
石碑は3枚あり、それぞれ違う時代に作られたと思われます。
何が書かれているか、詳しい内容はわかりませんが、唐糸御前に関することが書かれているのだと思われます。
何かわかりませんが、この場所には何か不思議な感じを受けました。
それがただの勘違いなのか、唐糸御前の無念が残っているのかはわかりません。
藤崎町に訪れた際にはぜひお立ち寄りください。
藤崎町で生まれたので小さい頃からこの伝説を知っています。
この唐糸御前のことを次世代に伝えたと思い津軽凧の大凧を制作しました。高さ3m幅が1.8mで畳3枚の大凧です。青森ひばの骨です。
今年の岩木全国凧揚げ大会で揚げました。
新作ですのであまり知られていない状況です。でも今回で唐糸御前を知ってもらいました。今日藤崎町で披露し、6月6日に秋田県大館市の
唐糸御前の関連の釈迦内の公民館に贈呈します。
唐糸御前の津軽凧の絵が秋田県の他人に気に入ってもらえれば幸いです。今度は大仙市に紹介します。再見
高木凧工房 高木俊雄
2018.06.03