魅力No.1468


時代の流れに影響を受けた二十五ヶ所

今日和、new_rockです!

さて、今回は第七番札所の・・・・

 

北浮田弘誓閣観音堂(高倉神社)

(きたうきたこうせいかくかんのんどう)

この札所って【伝説】【史話】等が多くありますよね。ですがそれと同時に、巡っている札所は時代の流れや風潮に影響を受けた様子が顕著にわかる札所も多いです。

     

今回もくどくどしい(笑)ですが、よろしくお付き合い下さいm(_ _)mペコリ

       

天和2年(1689)

浮田村の庄屋だった惣兵衛が小さな小堂を建立し、聖観世音を奉安したのが始まりとされています。その当時は神楽堂もあったそうですが、今現在はありません。

      

草創の頃

観世音のみが奉安されていました。しかし、本地垂迹の影響で観世音を神と同一視する風潮が生まれ、神仏混淆となりました。僧が神官を、神官が観音堂の別当を兼ねるようになっていったそうです。

※本地垂迹

仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする考え。

※神仏混淆=神仏習合

土着の信仰と仏教信仰を折衷して、一つの信仰体系として再構成(習合)すること。

※別当

律令制において本官を持つ者が他の官司の職務全体を統括・監督する地位に就いた時に補任される地位。後に官司の長官一般を指すようになる。

         

江戸時代

観音堂に権現様が祀られた為、飛竜宮に改称されてもおかしくない状況でしたが、当時の巡礼者達は寛容に【権現即観世音】として巡拝したそうです(^^) 

        

明治時代

この明治期、神仏分離があり観音堂としての存在をとりあげられてしまい、神社にならなければ廃堂になるところでした。

参考資料によれば、この神仏分離の影響を受けた札所は三十三ヶ所中【二十五ヶ所】が影響を受けているそうです。何を信じるのかはその人の自由、その領域を政府が干渉すべきでは無いと思うんですけどね。俗に【悪法】と呼ばれたりしている『神仏分離』です。

 

人々の動き

明治時代の神仏分離の影響で、【観音堂】が無くなり巡礼も途絶えていましたが、人々の間に観音信仰は生き続け、再び札所巡りが再開するのです。昔から知っていて、人々に馴染みの深い霊場に納札して巡拝したり、神殿の中に観世音を奉安したり、神域の中に小堂を建立して観世音を奉安したり。

この七番札所も、同じように変遷をたどり昭和41年、高倉神社の中に「弘誓閣」と名付けられた観音堂が再建されたそうです。

  

      

万病に効いた霊水

今現在も境内に銀杏の巨木があります。その昔、この銀杏の下から清水が湧き出て【眠病】【諸病】に効験がありました。そのうわさを聞きつけ、各地から霊水の恩恵を得に訪れていたそうです。残念ながら、この霊水は枯れ果て、その役目を終えて眠っています。でも、銀杏の巨木の下から湧き出る霊水・・・見てみたかった!

最後にご詠歌・・・

   

かかる世に 祈りてみれば 北浮田 神のめぐみも 深き身なれば

           

ではでは、今回はここまで!

次回「第八番札所」でお会い致しましょう(^▽^)ノシ

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町北浮田町今須前田17

1:久渡寺() 2:多賀神社 3:聞求寺 4:南貞院 5:十腰内観音堂 

6:湯舟観音堂

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