今回ご紹介するのはこちら(*^∀^*)ノ
第21番札所
鬼泊巌屋観音堂
おにどまりいわやかんのんどう
実は『第21番札所』は2ヵ所あります。前回の『高野山観音堂』から海沿いに出て、約8km先に『袰月海雲洞釈迦堂』があり、そのまた先約6kmに私が足を運んだ『鬼泊巌屋観音堂』があります。どちらか1ケ所でも良いし、2ヵ所参拝しても良いし、そこは自由・フリーダムです(^▽^)
駐車場なんか無いので(笑)路駐になります。交通量はそんなにありませんが、訪れる際は充分注意して下さいね!4km手前に駐車場がありましたが、歩くのが面倒だっ……orz
国道280号線の道沿いにあり、看板が出ておりますし
大きな岩と朱色の鳥居が見えますので見逃すことは無いかな?と思います(^^;)
巌屋観音堂
巌屋観音の草創は定かではありません。ですが、貞享3年(1689)今から約322年前「外ヶ浜代官所……書上帳」によると、この天然の岩洞に小さな祠が建てられ観世音菩薩が安置されているとあります。又、天明6年(1786)……この頃は丁度『天明の大飢饉』が思い浮かぶと思います。現役学生の皆さんはピンと来てくれたかな?w
江戸時代中期、1782年から1786年に起こった大飢饉。江戸四大飢饉と呼ばれ、日本史の近世史上では最大の飢饉でしたね。この大飢饉の影響で人々は苦しみ、心は荒れ果て悪人を『鬼』と呼んだこの頃、この観音堂は津軽霊場三十三観音の21番札掛所として広く知られていたそうです。当時の人々は、この巌屋観音堂に様々な思いを胸に参拝したのでしょう。
巌屋観音堂の縁起
正保4年(1647)にご本尊の聖観世音を安置したのに始まると伝えられています。江戸時代の頃は岩屋が海中にあった為、船で参拝したと、『寛延巡礼記』に記されているそうです。
海中にあった当時の参拝の様子を見てみたかったですね~(^ω^)
そして、1716~36年頃には、この場所特有の被害(波や潮風諸々)が元で堂宇は損壊してしまいました。その後、貞伝和尚が本覚寺に仮移遷したそうです。
明治の神仏分離令によって鬼泊巌屋観音堂は消滅し、明治20年代に海雲堂釈迦堂に本尊だった聖観世音菩薩が安置されました。その後、昭和30年代に現在の場所に観音堂が再建されましたが、本尊は戻ることはなかったそうです。やはり、あの場所だと堂宇が損壊し本尊が傷ついてしまうのを考慮しての措置でしょうか・・・。
それでは最後にご詠歌……
今回は2つご紹介!
★袰月海雲洞釈迦堂のご詠歌
鷲の山 誓いも重き 袰月の 影を浮世に 残す舎利浜
★鬼泊巌屋観音堂
いにしえの 鬼の岩屋に 神立ちて 悪魔はあらず 外ケ浜にも
では、次回はちょっと休憩!20番・21番のご朱印所をご紹介致します!
1:久渡寺(上・中・下) 2:多賀神社 3:聞求寺 4:南貞院 5:十腰内観音堂
6:湯舟観音堂 7:北浮田弘誓閣観音堂 8:日照田観音 9:見入山観音堂
10:円覚寺 11:下相野観音堂 12:蓮川観音堂 13:川倉芦野堂
14:弘誓寺観音堂 15:薄市観音堂 16:今泉観音堂 17:春日内観音堂