魅力No.1705


合戦の歴史深き地と観音けやき(第30番札所)

今日和、new_rockです(^∀^)bビシッ

今回ご紹介するのは、平川にありますこちら!

第30番

大光寺慈照閣(じしょうかく)

※保食神社(うけもち)※

 

印象的な縄飾りがお出迎えしてくれますが、この保食(うけもち)神社を「ほしょく神社」と読み間違えて読んでいました(笑)縄飾りが特徴的だったので、何枚か写真撮ってきました!

 

  

では、境内に入りましょう!

 

大光寺城は鎌倉時代に、曽我一族の勢力下にありました。その後、同族の岩館と曽我氏との間に大光寺合戦があり、延元4年(1339)には南部政長の攻撃を受け、一時は撃退したものの正平16年(1361)遂に落城し、曽我氏は滅亡してしまいました。

曽我氏の後、大光寺城は南部氏系の武将や安東氏の居城となりますが、南部氏の津軽支配に伴い、その拠点として重要な役割を果たしたそうです。城主が変わるごとに戦いが起き、死闘が繰り広げられ、多くの武将の血が流れているそうです。

天正3年(1575)に津軽為信の奇襲により落城し、為信公が平川沿いの一帯を支配することになりました。その城は弘前城建築の為に取り壊され、大光寺城の大手門は弘前城の亀の甲門に移築されたものだそうです。

為信は娘・富姫の夫である建広を配したそうです。娘・富姫が若くして病死してしまい、この菩提を弔うために三重塔を建立し、夫・建広が観音堂と別当にあたる薬師如来を安置する慈照閣を建立したそうです。

三重塔は寛永7年(1630)落雷の為焼失してしまったそうです。文政6年(1823)には西国巡拝した人達が、持ち帰った霊場土砂を境内に納め、巡拝記念碑が建てられたそうです。

観音欅(けやき)

 

樹齢千余年の老木が、昭和の台風により倒木してしまったそうです。境内には当時の観音欅に寄り添う地元の子供達の写真と、説明が書かれたものが展示されています。

 

当時の写真の狛犬の位置が変わりなければ、多分観音堂付近に観音欅が聳え立っていたんじゃないかなと。

ここいら辺ですかね!樹齢1000年以上の欅。見上げてみたかったなぁ!

ん・・・でも、この切り株はいったいなんの木なんでしょうか(笑)結構どっしりした感が見受けられるんですけどね~(^ω^;)

 

皀莢(さいかち)

マメ科の落葉高木・北海道を除く日本各地の川岸や山野に自生しています。幹や枝には茎の変化した棘があります。果物及び棘は漢方で去痰薬として果皮はサポニンを含み、石鹸の代用とされたそうです。

  

青森の歴史深きこの場所に、皆さんも一度足を運んでみて下さいね!今年で築城400年!その関連で史跡を巡るのも楽しいのではないでしょうか(^▽^)

ご詠歌

仏法に 名を得し今の大光寺 参る心も 後の世の為

ちなみに、こちらのご朱印はこの無人納付所で!民家も良いけど、気ままに押せるのも良いです(笑)

では、次回『第31番札所』にてお会い致しましょう!

青森県平川市大光寺四滝本62

1:久渡寺() 2:多賀神社 3:聞求寺 4:南貞院 5:十腰内観音堂 

6:湯舟観音堂 7:北浮田弘誓閣観音堂 8:日照田観音 9:見入山観音堂

10:円覚寺 11:下相野観音堂 12:蓮川観音堂 13:川倉芦野堂

14:弘誓寺観音堂 15:薄市観音堂 16:今泉観音堂 17:春日内観音堂

18:海満寺 19:義経寺 20:高野山観音堂 21:鬼泊巌屋観音堂

22:正覚寺  23:夢宅寺 24:入内観音堂 25:松倉観音堂 26:法眼寺

27:袋観音堂 28:広船観音堂 29:沖館観音堂

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